チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

亡き夫ジムの思い出‐②スポケン 1985-86

日本への一時帰国

空港に迎えに来た父と妹 1986年7月、ジムと私は1ヶ月の予定で、日本に遊びに来た。 帰国の1ヶ月前から、母に頼んでタウン誌に「英会話教室」の宣伝を載せてもらい、アルバイトの準備。 ところが、帰省する前から、電話がかかり始め、「あと2週間しないと戻っ…

ダニエル夫妻

ダニエル夫妻とリエ スポケーン市の教会で行なわれた世界宣教の大会で、壮年の夫婦に出会った。 そのご夫婦は、ダニエル夫妻。 彼らは、熱心なクリスチャンで、中国 特に台湾の人々にキリスト教が伝わり、真の幸せを得るようにと 多くの献金をささげ、台湾の…

チャレンジャー号 墜落

誰でも、社会的な大事件が起こったとき、自分がどこで何をしていたか、同時に思い出すことができると思う。 たとえば 同時多発テロの「911」。 あの事件が起こったとき、自分がどこでどんな生活をしていて、このニュースを見たかはっきりと思い出せる。 …

Kさん

スポケーン近郊の麦畑 何かのきっかけで、日本人女性のKさんと知り合った。 Kさんは、日本にモルモン教の宣教師として来ていた男性と知り合い、結婚、渡米したという。 アパートに住んで1歳の男の子を産み育てていた。 彼女は、日本人の知り合いがいない…

リビア空爆

ある休日 私たち夫婦はスポケーン市内のショッピングモールでウィンドウ・ショッピングを楽しんでいた。 そこで、ニュース速報が入り、人々がテレビの前に群がり始めた。 人々は、戦争が始まるかもしれないという不安にテレビに見入っていた。 私たちも人に…

ザッカリー

私が託児所で担当していた幼児の中に、ザッカリーという赤毛の男の子がいた。 ザッカリーは孤独な問題児。 友達と一緒に遊ぶことができず、おもちゃを奪い取ったり、友達を突き飛ばしたり問題行動を起こしていた。 お兄ちゃんのジョンくん(5歳)も お絵か…

ささやかな楽しみ

スポケーンでの私たちの生活は いたって質素だった。 ジムも私も一生懸命働いたが、収入はスズメの涙ほど。 学生生活というのは、そんなもの。 毎週の食費は15ドル程度で、卵、パン、ジャガイモ、人参と玉ねぎ、それに牛のミンチが基本的な食材。 これをカ…

ジムの学業

ワシントン州 スポケーン市 数年間のブランクの後、大学に復学したジムは、大学生活になかなかなじめない様子だった。 勉強すると言う習慣がなかったので、大変だったのだろう。 宿題やレポートが出ると、すごく悩んで、時間をかけて勉強していた。 1学期が…

カマル・ラストジ

カマルとジム スポケーンのアパートには、洗濯機も乾燥機もなかったため、コインランドリーで洗濯をしていた。 ある時、ジムと私がコインランドリーで洗濯物が乾燥するのを待っている間に、 インド人と見られるジムと同年代の男性がランドリーにやって来た。…

初めての定職

ワシントン州スポケーンでの生活が始まった。 さっそく、仕事を探す。私はフルタイム(週40時間)、ジムはアルバイト。 どのようにして、その仕事を見つけたのか忘れてしまったが、私は、託児所のスタッフの仕事が見つかった。 ジムは、大学が終わると、YM…

スポケーンへの引越し

のんびりするココ 9月から始まる聖書学校の新学期に備えて、私たちはジムの両親に別れを告げて、 スポケーンへ引っ越す事になった。 1月から8月まで、ジムの両親には、アメリカ生活の基本を教えてもらい、本当によくしてもらった。 ジムの父は、私たちがレッ…