チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

亡き夫ジムの思い出‐⑥コンド生活 1990-95

R小学校の思い出7 ゴム手袋

アメリカで医者にかかると、看護婦も医者もすぐに薄いゴム製の手袋をはめて患者と接する。 最初、母が医者にかかったときすぐにゴム手袋を使っては、ポイポイ捨てる医者たちを見て、 「何だか患者のことを汚いものを扱うかのように いちいち手袋をしなくても…

R小学校の思い出6 スクールバス

スクールバスで登校する生徒のための安全訓練があった。 バスの乗り方、降り方、バスの中でのルール。 行儀の悪い子は、注意され、それでも改善されなければ、バスの利用を停止させられる。 バス安全訓練のなかで、一番驚いたのは、非常事態についてだった。…

R小学校の思い出5 ボランティア

自由学習の時、ギターを教える R小学校の日本語プログラムでも父兄のボランティアが盛んだったが、 私は引退生活を楽しんでいる私の両親をボランティアに誘ってみた。 アメリカ人の父兄は、事務的なコピーなどの作業はできても、日本語でサポートすることは…

R小学校の思い出4 契約社会

ポートランドのダウンタウン アメリカは契約社会だ。それは小学校でもはっきりしていた。 遠足に行くとき、事前に全員が契約書にサインをする。 「先生の指導に従います」「危険なことはしません」など様々な項目が書かれており、 「私は、これらのことを守…

R小学校の思い出3 家庭事情

オレゴン・コースト アメリカは離婚率が高いと知られているが、小学校でもその現状はもろにうかがい知ることができた。 生徒の家庭事情が複雑なのだ。 親が離婚しているのが半数くらいだし、再婚している親も多い。 自然と生徒の会話も 複雑な家庭事情を反映…

R小学校の思い出2 Mくん

R小学校の登校時に私は正面玄関で子供たちを毎朝歓迎する役目があった。 登校してくる子供たちに声をかけ、不審者が学校に入らないように見張る目的もある。 子供たちは親たちに手をつながれて、のんびりと登校してくる。 さて、私の3年生のクラスにMくん…

R小学校の思い出

日本庭園で写生の遠足 アメリカの公立小学校に勤めるようになり、色々と興味深いことが多かった。 まず、教師たちには ラウンジという休憩室はあっても、職員室と言うものは無い。 教師それぞれが自分の担任の教室にロッカーをもち、そこを拠点に仕事をして…

ジムの仕事

シアトルで ジムは、キリスト教心理学のカウンセリングを学んだため、教会のカウンセラーとなることを希望していた。 ところが、教会でカウンセラーを雇うところがほとんどなく、たいていはその教会の牧師がカウンセリングを担当していたのだった。 そのため…

ジムの大学院卒業!

ジムは、大学院でキリスト教カウンセリングを専攻し、3年間かけて卒業が決まった。 最後の1年間は、授業のあと、インターンシップとしてある教会でカウンセラーとして働き、 夫婦カウンセリングや家族カウンセリング、問題児のカウンセリングなどにも当たっ…

新しい仕事

R小学校 鹿をひく交通事故のあと、私は通訳・ガイドを辞めようと決心がついて、新しい仕事を探した。 といっても、少しは目星がついていたのだった。 通訳で日本文部省のお役人さんたちと見学に行ったポートランドの公立小学校。 ここは、今も現存している…

事故

通訳・ガイドの仕事も約5年働いた。 いつも新しい日本人に会い、いつも新しい場所に添乗し、いつも新しい内容を通訳し・・・・。 最初はチャレンジも多く、事務的な仕事よりは 自分に合っていると思っていた。 けれども継続していく内に、毎回毎回の新しい…

ブッチャー

ジムは、自分の授業が無い日、私の仕事が空港での簡単な仕事だと 時々一緒に来ていた。 私がお客さんの世話をしている間、教科書を持ってきて、コーヒーショップで勉強して待っている。 仕事が終わると一緒にランチをしたりして帰ったものだった。 その日も…

プロレスラー、ロッキー

自宅に来てくれたロッキー・モンテロとジム 私の通訳・ガイドの仕事ではよく日本人グループの移動に観光バスを使った。 ある時、到着されたばかりの日本人お客さんに「バスドライバーさんをご紹介します」と言って、 運転手に「お名前は何ですか?」と訪ねる…

またまた凝りもせず、引越し

山の上の生活は美しくよかったのだが、美しいだけと喜ぶだけでは生活できない。 出好きの父は草刈に追われ、教会通いにも時間がかかる。 ジムは通勤、通学に時間がかかったし、これから卒業を目前にして、新しい仕事の通勤のこともある。 そんなこんなで、私…