チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

亡き夫ジムの思い出‐独身時代のジム

ジムの日本滞在

大阪の喫茶店で 韓国からアメリカへ帰国するさい、フェリーで日本に立ち寄ったジムは、大阪へ向かった。 ロスアンジェルスで友達だった日本人が 2,3人大阪に戻っていたのだ。 その中の、ユミさんが自分の行っている教会にジムを連れて行ったところ、 その…

ジムの韓国時代

韓国でのジム ジムが聖書大学の1年が終わるころ、彼は、韓国の留学生友達から、 母国の教会付属の男子高校で、夏期の英語教師を募集していることを知った。 応募したところ、受け入れられたため、大学もそっちのけで、行くことにした。 行き先は、韓国のとあ…

私とアメリカ

独身時代のジム 私は、中・高・短大時代、教会に通い 自分の人生を神様のために生きたいという思いが与えられるようになった。 それで、道が開かれ、短大卒業後、東京キリスト教学園の神学部に入学し聖書を学んだ。 以前から 日本でなされた多くのすばらしい…

ジムと日本

アジアの学生とディズニーランドで ジムは、20代前半、ロスアンジェルスに住み、いろいろなアルバイトを経て、 聖書を学ぶため、聖書大学に入学した。 大学に入った彼は、アジア人と交流するクリスチャンのグループに属した。 そこで、日本人、韓国人、中国…

私の心の旅

20代前半のジム(甥のウェスレーを抱いて) 私は子供のころから どこか冷めた性格だった。 赤ちゃんの時、あやされても笑わなかったため、母も不思議だったらしい。 天真爛漫でニコニコといつも笑顔をふるまいていた妹とは 正反対。 大人や教師たちを観察…

アメリカ陸軍時代

4Hクラブでパレードに出ているジム ジムは中高生の時代、ベトナム戦争のニュースを見ながら育った。 毎晩のようにニュースで戦争の様子を見ていたという。 高校を卒業するに当たり、特に何がやりたということもなかったらしく、 国のためになるなら、ベト…

ジムの母

アコーディオンを弾くジム 母ドロレスは非常に明るく、気さくで男性的な性格。 私は結婚当時数ヶ月、同居させてもらいお世話になり、 他の兄弟姉妹の伴侶のなかで、唯一 私だけが一緒に生活を共にさせてもらったことになる。 そのため、私はジムの母が大好き…

4Hクラブ

左がジム 中央父 右 双子の妹マーガレット ジムの父は、子供たちを4Hクラブに参加させ、自らも活動を指導していた。 4Hクラブとは、ボーイスカウトやガールスカウトのような団体で、青少年の教育を目的とした団体。 特徴は 農業活動にある。 ミッション…

恐怖の思い出

クローチ家は、夏になると、2ー3週間、両親の出身地であるノースダコダ州の親戚のところまで キャンピング・カーでキャンプをしながら帰省していた。 これはかなりの長距離のドライブだ。 何日もかけて 家族はワイワイ、ガヤガヤと旅を続けていた模様。 あ…

ジムの家族

ジムが育ったのはカリフォルニア州のランポークという町。 ジムの記憶では、とにかく風がいつも吹いていた町らしい。 父は 軍のシビル・エンジニアで、母は主婦。 二人はカトリックの信者。 二人とも生粋のドイツ系。ノースダコダ州の出身で父が戦争から帰っ…

ジムの子供時代

クラリネットをもつ少年ジム ジムは、いたっておとなしい子供だった様子。 私とは、正反対だ。 父アーサーは、サウンド・オブ・ミュージックのような家族を目指していたらしく、 夕食の後は、かならず全員が楽器を練習しなければならなかった。 特に、先生に…

なんとかやっています

ジムが天国に行って、もうすぐ1ヶ月。 1月5日に亡くなり、2日後に火葬。 1月19日に 国立墓地で アメリカ軍のセレモニーをしてもらい、遺灰はそこに納められた。 1月20日には、教会で記念礼拝を行い、約70人の方が来て下さった。 記念礼拝は 1年近く前に声を…

ジムの誕生

ジムは、1956年11月に 双子として生まれた。 カトリックの両親のもとに生まれた7人の子供の真ん中として。 その日、予定より早く 母が産気づき、父が車に母を乗せて 病院へ。 ところが、まだ病院へは程遠いところで もう赤ちゃんが出て来そうになったらしい…

私の夫ジェームズ・クローチ

これが、私の夫、ジェームズ・クローチです。 通称はジムで、いつもジムと呼んでいました。 性格は アメリカ人にしてはおとなしく、明るく楽しいことが好きな人。 長身で面長、とてもハンサムな人です。 これから、少しずつ、彼のことについて書いていこうと…