チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

私の心の旅

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              20代前半のジム(甥のウェスレーを抱いて)

私は子供のころから どこか冷めた性格だった。
赤ちゃんの時、あやされても笑わなかったため、母も不思議だったらしい。
天真爛漫でニコニコといつも笑顔をふるまいていた妹とは 正反対。

大人や教師たちを観察しては、あんな大人になりたくないものだと悲観していた。
大人は 愛すべき存在ではあるけれども、
「人生のなんたるか」を私に教えることもできなければ、自分でもわかっていない哀れな人たち・・。
そんな冷酷な目で見ていた。

中学1年のとき、あることから、自らすすんでキリスト教会に行ってみた。
そのときのことは、あまり覚えていないが、
初めて 黒皮の聖書を手渡されたときの感覚は とてもはっきりと記憶している。

「すごい書物に出会ってしまった」
「これを知らなかった昨日の自分には戻れないだろう」
「これからの人生がこの書物から、大きく影響されるだろう」

漠然としていたが、強烈な印象を受けたことは よく覚えている。

それからというもの、私は 毎週教会に通い、自分で聖書を読んだ。
神の存在、性質(神がどのような方か)、自分の存在など だんだん理解が広がった。

知れば知るほど、
「この信仰を自分のものとして生きるのか」、それとも
「キリスト教の知識として深入りせず、世の中で それなりの幸福を求めていくのか」
という心の葛藤に苦しんだ。

4年間この葛藤が続き、人生の重大なことに決着がつけられずにいる自分が 情けなかった。
神に心が引き寄せられようとすればするほど、拒否する自分との葛藤。

高校2年の春、そんな自分にピリオドを打とうと思った。
「神についていこう」 人生の一大決心だった。
そして、牧師から洗礼を授かった。忘れもしない、1977年 5月29日。

その日から、私は神の約束どおり、
罪ゆるされ、永遠のいのちに生かされ、日々、神の愛の中に生きている。

これまで、その決断を1度も後悔したことはない。

「わたしは、世の光です。
 わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
                  聖書 ヨハネの福音書8章12節

このキリストの言葉に、私はいつも励まされ続けた。

後に結婚してからわかったことだが、
くしくも 同時期に、ジムはアメリカの陸軍で彼自身「キリストに従う」決心をしていた。

優しい神の 計らいを感じて、感謝に思う。