私とアメリカ
独身時代のジム
私は、中・高・短大時代、教会に通い
自分の人生を神様のために生きたいという思いが与えられるようになった。
それで、道が開かれ、短大卒業後、東京キリスト教学園の神学部に入学し聖書を学んだ。
以前から 日本でなされた多くのすばらしい宣教師の働きを知り、
また自分でも実際に数名の宣教師と関わっていく中で、
「このようなすばらしい人たちを育てているアメリカとはどんなところなのだろう!
アメリカのクリスチャンの家庭をぜひ訪ねてみたい」という気持ちをもった。
それで、22歳の夏、学校の夏休みを利用して、6週間ひとりでアメリカ旅行をすることになった。
はじめは友達と 彼女のアメリカの親戚の家に行く予定だったのだが、
その友達が行かないということになり、
「どうしてもこの機会を逃すと、行くチャンスはない」と思った私は、
知り合いという知り合いに
「アメリカにクリスチャンの親戚もしくは 友達がいる人は教えてください」と掛け合い、
10ほどのアメリカの家族の名前と住所を教えてもらった。
当時英語がまったくできなかった私は、辞書と参考書と にらめっこをしながら、
「夏に1週間ほどステイさせていただきたい」という厚かましい手紙を送った。
すると、なんと、ほとんどの家族から返事が来たではないか!!
そのうち、6家族が、「○月○日前後なら、おいでください。」と
実際に私を迎えてくださるという感動的な返事があった。
この、どこの馬の骨ともわからない厚かましい日本人を受け入れてくださるとは!
さあ、こうなれば、行くしかない! 状況は、Goサインを出している。
私は旅行代理店を選び、飛行機の路線やチケットの相談に通った。
なにせ、目的地を自分で選んだのではなく、
返事が来た家族の住んでいるところへ 観光地であろうがなかろうが、行かねばならない。
空港から離れている家族のところへは、大陸横断バスを利用するため、
東京のグレイハウンド(大陸横断バス)の支社に通い、路線と時刻表を勉強した。
かくして、飛行機の周遊券とグレイハウンドの情報をもとに アメリカ行きが決まった。
6家族には、「○月○日の何時に行きます。空港まで、(バス停)まで迎えに来てください」と
これまた厚かましい手紙を出した。
はじめから通算すれば、半年をかけての準備となった。
晴れて、計画通り、私は6週間、1週間に1家族のアメリカホームステイを果たした。
飛行機に乗るのも、パスポートを持つのも、一人で旅行をするのも初めての経験だった。
まして、英語は話せない。
私の言えたことは、
My name is Rie.
Where is the bathroom? (トイレはどこですか?)←これは大事!
I like ○○.
本当にこれくらいだった!
それなのに、一人旅をしようと思ったのだから、無知ほど強いものはない!
(実は、この旅から帰って、英会話を真剣にやるようになった)
行った箇所は、西海岸から 中南部アメリカ、東海岸と広い範囲に及んだ。
そこで、出会った6家族は、本当に本当にすばらしい、すばらしい家族だった!!
彼らから受けた影響はそれはそれは大きかった。
この経験については、また機会があったら書いてみたいと思う。
このようにして、私は、アメリカが大好きになり、出会った素朴な人々に尊敬の念を抱くようになった。
くしくも、ジムは、まったく同じときに、日本を旅行していたのだった。
(そのことについては、この前の記事「ジムと日本」に書いています)
デートをしていたときに、そのことが判明し 互いに驚いた。
ジムと私は、お互いの国を同じ夏に訪問し、好感を持ち、興味を深めたことになる。
しかも、さらに驚いたことに、
ジムは、日本で私の友達と知り合いになっており、
私は、アメリカでジムの友達と知り合いになっていたのだ!
それは結婚後、お互いの旅行の写真を見ていて発見した驚きの事実だった。
私たちは 出会う前から、強い神の絆でつながれていたことを感じ、感謝だった。
神のなさることは 不思議だと、つくづく思う・・・。
私は、中・高・短大時代、教会に通い
自分の人生を神様のために生きたいという思いが与えられるようになった。
それで、道が開かれ、短大卒業後、東京キリスト教学園の神学部に入学し聖書を学んだ。
以前から 日本でなされた多くのすばらしい宣教師の働きを知り、
また自分でも実際に数名の宣教師と関わっていく中で、
「このようなすばらしい人たちを育てているアメリカとはどんなところなのだろう!
アメリカのクリスチャンの家庭をぜひ訪ねてみたい」という気持ちをもった。
それで、22歳の夏、学校の夏休みを利用して、6週間ひとりでアメリカ旅行をすることになった。
はじめは友達と 彼女のアメリカの親戚の家に行く予定だったのだが、
その友達が行かないということになり、
「どうしてもこの機会を逃すと、行くチャンスはない」と思った私は、
知り合いという知り合いに
「アメリカにクリスチャンの親戚もしくは 友達がいる人は教えてください」と掛け合い、
10ほどのアメリカの家族の名前と住所を教えてもらった。
当時英語がまったくできなかった私は、辞書と参考書と にらめっこをしながら、
「夏に1週間ほどステイさせていただきたい」という厚かましい手紙を送った。
すると、なんと、ほとんどの家族から返事が来たではないか!!
そのうち、6家族が、「○月○日前後なら、おいでください。」と
実際に私を迎えてくださるという感動的な返事があった。
この、どこの馬の骨ともわからない厚かましい日本人を受け入れてくださるとは!
さあ、こうなれば、行くしかない! 状況は、Goサインを出している。
私は旅行代理店を選び、飛行機の路線やチケットの相談に通った。
なにせ、目的地を自分で選んだのではなく、
返事が来た家族の住んでいるところへ 観光地であろうがなかろうが、行かねばならない。
空港から離れている家族のところへは、大陸横断バスを利用するため、
東京のグレイハウンド(大陸横断バス)の支社に通い、路線と時刻表を勉強した。
かくして、飛行機の周遊券とグレイハウンドの情報をもとに アメリカ行きが決まった。
6家族には、「○月○日の何時に行きます。空港まで、(バス停)まで迎えに来てください」と
これまた厚かましい手紙を出した。
はじめから通算すれば、半年をかけての準備となった。
晴れて、計画通り、私は6週間、1週間に1家族のアメリカホームステイを果たした。
飛行機に乗るのも、パスポートを持つのも、一人で旅行をするのも初めての経験だった。
まして、英語は話せない。
私の言えたことは、
My name is Rie.
Where is the bathroom? (トイレはどこですか?)←これは大事!
I like ○○.
本当にこれくらいだった!
それなのに、一人旅をしようと思ったのだから、無知ほど強いものはない!
(実は、この旅から帰って、英会話を真剣にやるようになった)
行った箇所は、西海岸から 中南部アメリカ、東海岸と広い範囲に及んだ。
そこで、出会った6家族は、本当に本当にすばらしい、すばらしい家族だった!!
彼らから受けた影響はそれはそれは大きかった。
この経験については、また機会があったら書いてみたいと思う。
このようにして、私は、アメリカが大好きになり、出会った素朴な人々に尊敬の念を抱くようになった。
くしくも、ジムは、まったく同じときに、日本を旅行していたのだった。
(そのことについては、この前の記事「ジムと日本」に書いています)
デートをしていたときに、そのことが判明し 互いに驚いた。
ジムと私は、お互いの国を同じ夏に訪問し、好感を持ち、興味を深めたことになる。
しかも、さらに驚いたことに、
ジムは、日本で私の友達と知り合いになっており、
私は、アメリカでジムの友達と知り合いになっていたのだ!
それは結婚後、お互いの旅行の写真を見ていて発見した驚きの事実だった。
私たちは 出会う前から、強い神の絆でつながれていたことを感じ、感謝だった。
神のなさることは 不思議だと、つくづく思う・・・。