チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

またまた凝りもせず、引越し

山の上の生活は美しくよかったのだが、美しいだけと喜ぶだけでは生活できない。

出好きの父は草刈に追われ、教会通いにも時間がかかる。

ジムは通勤、通学に時間がかかったし、これから卒業を目前にして、新しい仕事の通勤のこともある。

そんなこんなで、私たち家族は 山の上の生活を断念し、現実的な町の生活を考えるようになった。


それで見つけたところが、町のコンドミニアム。

これまでのカントリーライフとは打って変わった環境だった。

パーク(公園)さながらの整備された環境で、一切手入れ不要。家の外装も含めて管理会社がやってくれる。

クラブハウスには、プール、サウナ、テニスコート、ビリヤードがあり、利用自由。

父は、過酷な草刈から解放され ゴルフの時間が増えただけでなく、
しばらくやっていなかったビリヤードも楽しめるようになったのだ。

(父は若い頃から『4つ玉』などビリヤードが大好きで、かなりうまかった模様)
(彼は、こと遊びにかけては、お金と時間がかかっていたので何でもうまかった)

 余談だが、父は大正生まれで、戦争にも行ったため、軍隊の訓練で乗馬もできたし、
 運送業の家に生まれたため、14歳ぐらいから車に乗り(無免許で)車の修理もほとんど自分でできた。
 機械が好きだったので、生地を買ってきて ミシンで自分で車のシートカバーを作ったりもした。
 私が5,6歳のころ、習いたてのカギ針でリカちゃん人形の布団を編んでいてお風呂の時間になると、
 「パパ、続き編んでね!」と頼むとちゃんと上手に編んでくれたり・・・。
 おもしろいおっちゃんだったのだ。
 とてもゴッツイ手だったのだが、かなり器用だったのだろう。

 入れ歯やメガネもすぐに自分で熱したり、機械で削ったりして調整してしまう。

 子供の頃フィギュア・スケートを習っていたと言って ジャンプ回転を見せてくれたり。
 不思議なおっちゃん。

話がはぐれてしまったが、ともかく町のコンドミニアムに来て、父の生活は一転した。

生まれつきのシティーボーイを 山に住ませるなど、もともと無理だったのだろう。

私たち家族は、買い物も移動も(フリーウェイまで3分)非常に楽になり、町の暮らしを楽しんだ。