我が家のエイプリル・フール
先日のギョーザ夕食
私の実家では、 毎年子供のころから 熾烈なエイプリル・フール合戦が繰り広げられている。
私の記憶で最も古いものは、母からかけられたもの・・・。
当時6歳ぐらいだったと思うが、私が以前からほしがっていたおもちゃを
「友達のお父さんが そのおもちゃを作る工場に勤めていて、
たくさん売れ残りがあるので 4月1日にプレゼントしてくれるんだって!」と母から言われた。
彼女の作戦は、かなり手が込んでいて、単にその日に引っ掛けるのではなく、
2,3週間前から4月1日のクライマックスを目指して、徐々に話をもちかけられ、
とうとうその日が来るころには、完全にはめられているというパターン。
血も涙もない 粘液質的な性格の持ち主が、ネチネチとやりそうなことだ。
この性格は本人も認めている。
カエルは、最初から熱湯に入れられると 身の危険を感じて飛び出すが、
水の中に入れられて、徐々に温度を上げて ぬるま湯、熱湯となると 危険に気づかず、
気がついたときには、すでに ゆでカエルになるというが、それと同じ。
犠牲者に与える心理的打撃は大きい!
まして、私はまだエイプリル・フールの何たるかを知らない純真無垢な少女だったのだから 残酷だ!
まだエイプリル・フールの意味を知らなかった私は、その日になって、届くはずもないプレゼントのことで
母にしつこく詰め寄ったが、「エイプリル・フールだったのよ~!」と一笑に付された。
その意味が説明されて はじめて分かったところで、信頼すべきはずの親が子を騙すなど納得がいかない!
子供のころから正義感にあふれ、頑固に正しいことを貫く努力をしていた私にとって、
子供を騙す親など赦しておくことはできない! あってはならないことなのだ!
それで、当然のごとく、私は怒って、泣いて、ごねた。
ついに、最後には 温厚な父も ごね続ける私についに切れて
「エイプリル・フールちゅーてんねんから、いい加減にせー!!」と 雷を落とす始末。
思えば、あれが私の復讐の原点となり、なんとか仕返しをしようとたくらみ続けて ウン十年・・・。
毎年、家族間で、逆襲劇が繰り広げられてきた。
親が子をだまし、子が親をだまし・・・。
最初の体験から得た「ウソはウソでも人をどん底に突き落とすべきにあらず」の教訓から、私のウソの原則は、
「悪いニュースを信じ込ませて、結局は何事もなかったと『ホッ』と幸に転じる 良心的なものばかり。
それに、根が善人な私は、演技に徹することができず、すぐに顔にでてしまい、ばれるケースがほとんどだ。
でも今年は、国際電話でのエイプリル・フールだから、表情が見えないので、やりやすい!
日本の4月1日の朝に合わせて、母に電話をかけた。朝なら、気づかれまいとの策略だ。しめしめ。
「私さー、喧嘩してん。もうやっていけへんから、C君と別れるわ! もう終り!
もー、ホンマ腹立つねん! 結婚も取りやめるし!」
寝込みを襲われた母は、
「ええー? ほんま~? なんでそんなことになってしもうたん~?」
ちゃんとひっかかってくれている。
「やっぱ、うまくいかへんわ。あんな人とは知らんかったわ!」続けてしゃべっているうちに、
「いや、ちょっと待って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
それ、エイプリル・フールちゃう?」
さすが、「元祖エイプリル・フールの女王」我が母。
ほどなく悟られてしまった・・・。ガクン!
毎年、なんとかギャフンと言わせてやりたいと思いながら、
まだ、あの復讐をはたせずに ここまできてしまった。
そろそろ来年に向けて、策略をねりはじめなければ。
私の実家では、 毎年子供のころから 熾烈なエイプリル・フール合戦が繰り広げられている。
私の記憶で最も古いものは、母からかけられたもの・・・。
当時6歳ぐらいだったと思うが、私が以前からほしがっていたおもちゃを
「友達のお父さんが そのおもちゃを作る工場に勤めていて、
たくさん売れ残りがあるので 4月1日にプレゼントしてくれるんだって!」と母から言われた。
彼女の作戦は、かなり手が込んでいて、単にその日に引っ掛けるのではなく、
2,3週間前から4月1日のクライマックスを目指して、徐々に話をもちかけられ、
とうとうその日が来るころには、完全にはめられているというパターン。
血も涙もない 粘液質的な性格の持ち主が、ネチネチとやりそうなことだ。
この性格は本人も認めている。
カエルは、最初から熱湯に入れられると 身の危険を感じて飛び出すが、
水の中に入れられて、徐々に温度を上げて ぬるま湯、熱湯となると 危険に気づかず、
気がついたときには、すでに ゆでカエルになるというが、それと同じ。
犠牲者に与える心理的打撃は大きい!
まして、私はまだエイプリル・フールの何たるかを知らない純真無垢な少女だったのだから 残酷だ!
まだエイプリル・フールの意味を知らなかった私は、その日になって、届くはずもないプレゼントのことで
母にしつこく詰め寄ったが、「エイプリル・フールだったのよ~!」と一笑に付された。
その意味が説明されて はじめて分かったところで、信頼すべきはずの親が子を騙すなど納得がいかない!
子供のころから正義感にあふれ、頑固に正しいことを貫く努力をしていた私にとって、
子供を騙す親など赦しておくことはできない! あってはならないことなのだ!
それで、当然のごとく、私は怒って、泣いて、ごねた。
ついに、最後には 温厚な父も ごね続ける私についに切れて
「エイプリル・フールちゅーてんねんから、いい加減にせー!!」と 雷を落とす始末。
思えば、あれが私の復讐の原点となり、なんとか仕返しをしようとたくらみ続けて ウン十年・・・。
毎年、家族間で、逆襲劇が繰り広げられてきた。
親が子をだまし、子が親をだまし・・・。
最初の体験から得た「ウソはウソでも人をどん底に突き落とすべきにあらず」の教訓から、私のウソの原則は、
「悪いニュースを信じ込ませて、結局は何事もなかったと『ホッ』と幸に転じる 良心的なものばかり。
それに、根が善人な私は、演技に徹することができず、すぐに顔にでてしまい、ばれるケースがほとんどだ。
でも今年は、国際電話でのエイプリル・フールだから、表情が見えないので、やりやすい!
日本の4月1日の朝に合わせて、母に電話をかけた。朝なら、気づかれまいとの策略だ。しめしめ。
「私さー、喧嘩してん。もうやっていけへんから、C君と別れるわ! もう終り!
もー、ホンマ腹立つねん! 結婚も取りやめるし!」
寝込みを襲われた母は、
「ええー? ほんま~? なんでそんなことになってしもうたん~?」
ちゃんとひっかかってくれている。
「やっぱ、うまくいかへんわ。あんな人とは知らんかったわ!」続けてしゃべっているうちに、
「いや、ちょっと待って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
それ、エイプリル・フールちゃう?」
さすが、「元祖エイプリル・フールの女王」我が母。
ほどなく悟られてしまった・・・。ガクン!
毎年、なんとかギャフンと言わせてやりたいと思いながら、
まだ、あの復讐をはたせずに ここまできてしまった。
そろそろ来年に向けて、策略をねりはじめなければ。