チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

一日修養会

今日は神学校で、一日修養会が行われた。
 
いつも、勉強ばかりで精神的にも疲れがたまっているため、とてもよい魂の休養となった。
 
祈りのときは、教授も職員も学生もいっしょに 互いのために祈りあう。
 
今日は、いつも顔は知っていても、個人的に話すことなどない大学院の職員の女性2人と一緒に
 
いろいろな話をして 親しく交わることができて、とても感謝だった。
 
 
マッキンリー博士のメッセージ (説教)も             イメージ 1
 
とても心に浸みて、学ばされた。
 
彼は43歳の若さだが、神からの豊かな賜物にあふれた 
 
フレンドリーな牧師であり、教授だ。
 
旧約聖書、ヤコブの人生からの教えだった。
 
ヤコブは、決して 聖書の中でも ヒーロー的な存在ではない。
 
母親にひいきにされ、かわいがられて育った男の子で、
 
双子の兄を差し置いて、年老いて弱った父親をだまし、
 
長子の祝福をだまし取る。
 
このことが原因で家にいられなくなったヤコブは、母の兄、ラバンのもとに逃げることに・・・・
 
彼はそこで、20年間の労働をさせられることになる。
 
おじのラバンからは だまされ、好きだったラケルではなく、レアと結婚させられ、
 
父をだました彼は、今度は叔父からだまされて 苦労する身となる。
 
そして、ママっ子だった彼は、12人の子供の父となり、一人の男性として成長していく・・・・
 
 
神は、奇跡的な方法で 一瞬のうちに ヤコブを変えられたのではなく、
 
20年という日常の生活を通して、彼を訓練されたのだった。
 
 
故郷に戻る覚悟を決め帰る途中、ヤボクの渡し(川)で ヤコブは 神と一晩中 格闘(レスリング)する。
 
いつまでも、自分のやり方、自分中心の考え方でいるヤコブ。
 
神は、そんなヤコブと一晩中、レスリングされたのだ。 
 
一方的にヤコブをねじ伏せることも できたはずなのに・・・・・
 
   親が 子供とじゃれあってレスリングをするとき、わざと子供に勝たせてあげたりするように・・・
 
   親に勝とうと 力いっぱい向かってくる子供の姿を、親は頼もしく思い、うれしくも感じる。
 
神は、私達が神とぶつかること、格闘すること(霊的な意味において)を 受け入れてくださる。
 
「神様、なんで人生、なぜ、思うようにいかないのですか?」
 
「なぜ、私にいいように働いてくれないのですか?」
 
「なぜ、苦しんでいるときに、助けてくれなかったのですか?」
 
   私達クリスチャンは、いつも笑顔で信仰生活を喜んで送っているわけではない。
 
   自分の問題、家族のこと、これからのこと、常に心の葛藤がある。
 
   それを、神に隠したまま、すべては感謝ですと仮面をかぶって生きることはできない。
 
   神は私達が思いっきりぶつかり、正直な気持ちで叫ぶことを 受け入れてくださるのだ。
 
 
ヤボクでの格闘で、最後に神はヤコブの足の関節をはずされ、ヤコブは負ける。
 
神は 痛みで足を引きずっているヤコブに、『イスラエル』という新しい名前を与えた。
 
すなわち、これまでとは違った人生がはじまったのだ。 
 
   自分中心の生き方をしようとして、神と格闘する私たちは、神から打たれキズを負わされる。
 
   そのキズあとや痛みは 私達に謙遜や成長をもたらしてくれる。
 
   
今日のメッセージを通して、私が心に受けた語りかけは・・・
 
ー私は何から逃げようとしているのだろうか? 
 
    (ヤコブが兄から逃げようとしたところから)  
 
    自分が避けたいこと、触れたくないこと、直視したくないことから 逃げていないか?
 
ー私のラバンは誰なのだろうか?
 
    私を訓練してくれている人は誰?  職場のボス? 夫? 友達? 学業?
 
ー私は 神と格闘しているか?
 
ー私は 神からキズを負わされ、そのことを通して 謙遜にさせられた経験はあるか?
 
    ジムが死んで幸せが失われたこと。 心にキズを負ったが、完全に慰め癒され、立ち直れた!
 
ー私は 神からトランスフォームさせられているか?
 
ー自分の人生は、神の大きな計画の中で、どんな意味があるのか?
 
 
1日という短いリトリートだったが、神様の祝福を心に受けて感謝だった。
 
                                          リトリート会場となった近くの川
 
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