チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

東南アジア旅行 ベトナム・ハノイ その1 市内&ホー・チ・ミン廟

 
ベトナムの首都ハノイに行ってきた。
 
 
ベトナムという言葉は ベト族+Nam (人々) と言う意味らしく、人口の85%が ベト族で構成されている。
 
ハノイは 紅河という大きな河 (鉄分が多いらしく本当に河の色が紅い!) に取り囲まれるようになっていて、
 
ベトナム語で ハ (河) + ノイ (囲まれている) =ハノイ (河に囲まれた町、河内) という意味らしい。
 
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 ハノイは ベトナムの北部にあり、
 
 人口が750万人。
 
 ホーチミン (旧サイゴン)は 南部にあり
 
 大きさでは ベトナム 第一の都市らしい。
 
 
 世界遺産のハーロン湾も観光したいので
 
 日帰りで観光可能なハノイに行った。
 
 
 1日目は 到着したのが夜だったので、
 
 2日目 ハノイってどんなところなんだろうと
 
  朝が待ち遠しかった・・・・
 
 
 
 
さて、夜が明けて、観光を始めると・・・・・
 
ハノイのダウンタウンは、やはり大きな都市で・・・・・・・ ビルがひしめき合って建っており、
 
市民の移動手段は、スクーターだった~! (バンコックや バリと同じ)
 
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ベトナムでは、道路に面していることが重要なことらしく、間口の狭いビルが目立つ。 ↓
 
ガイドさん曰く 「細長い国に住んで、細長い建物に住んでいる 細い人々が ベトナム人です」 
 
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  かなり近代的かと思えば、
 
  中心街でも 伝統的な帽子をかぶり、
 
  平均棒で野菜や果物を行商する女性達の姿が多い。
 
 
  東南アジアでは 頭の上に乗せて 物を運搬する女性の
 
  姿を多く見かけたけど、平均棒はここだけだった・・・
 
  なんか、新鮮~!
 
 
 市街のあちこちの道路の上に 赤いバナーが飾られていて、ここは社会主義国なんだと実感。
 
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市内に点在する黄色っぽい色の建物は、どれも古めかしいヨーロッパ風。
 
フランス領だった時代に、フランスが建てた建物が そのまま現在も政府関係の建物として使われている。
 
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 さて、最初に向かったのが ホーチミン廟。
 
 ベトナムの改革家、政治家は、1969年に亡くなった今も
 
 国のヒーローとしてまつられている。
 
 
 「ホーチミン廟に お連れします」 と言われ、
 
 『ホーチミンの墓のある墓地にいくのだろう』 なんて
 
 勝手に想像していたのだけれど、
 
 実際に遺体が 一般に公開されていると知って、びっくり~!
 
 
 
 ホーチミン関連の施設がハノイ市内にまとまってあり、              インターネットより ↑
 
 ここだけは、都会のごった返しをよそに、広々とした広場が 別世界のようにして存在している。
 
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 広場には ベトナムの国旗が翻り、奥に大きな建物がある。 ↑
 
 この中に ホーチミンの遺体が安置されているのだ。
 
 カメラは持ってはいることが許されなかったので 撮影できなかったが、
 
 当時のソ連の技術で化学処理された ホーチミンの遺体は 兵たちに厳重に守られていた。
 
 ガラスケースに入り、横たえられている遺体は ロウ人形のようにも見える・・・・・・
 
 ガラスケースの周りをグルリと回るように歩きながら 多くの観光客が列を作って見学するのだが、
 
 要所要所に兵隊がおり、少しでも足が遅くなろうものなら、グッとひじを押されて 進まされる・・・
 
 約1分で ぐるりと回って遺体を見学。
 
 
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 しょっぱなから、ホーチミンの遺体を見学させられ、
 
 『ここは 他の国とは違う・・・・!』と 強い印象を持たずにはいれらない。
 
 
 
同じ敷地内にある ホーチミン関連の施設を見学させてもらう。
 
フランス領時代に ベトナム総督(フランス人)が仕事をしていた建物。
        ↓
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 ホーチミンが 指導者となった時、
 
 「こんな大きな建物は不必要」と言い、
 
 庶民と同レベルの生活をした。
 
 そのため、ここでの職務は たったの一日。
 
 ホーチミンが この建物の中で
 
 仕事をしている写真は
 
 一枚も存在しないのだとか・・・・
 
 
わずか 200~300メートルのところに 建てられたホーチミンの職務室。 (高床式)
 
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  板張りの床の小さな部屋が2つあり、
 
  デスクと電話などしかない、質素な部屋。
 
 
  夫はこの質素さ、そして機能のよさに
 
  感じるところが多かったらしく、
 
  将来、ホーチミン・ハウスを建てようと
 
  考え始めたモヨウ・・・・・
 
 
 
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 ホーチミンが 使っていた車の展示。
 
 ガレージは 冷房で温度管理がなされていた。
 
 庶民は 暑さに苦しんでいるのに~!
 
 こんなのホーチミンが生きていたら
 
 許さないんじゃないの??
 
 
 
 
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  出口付近では、おそらく国民的歌手と言えるような
 
  テノール歌手と 合唱団が
 
 『ホーチミ~ン~~~!ホーチミ~ン~~~~!』 と
 
 声たからかに国民の英雄であるホーチミンを
 
 ほめたたえる歌が高らかに 賛美されていた。
 
 
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 かくして、初日ははじまった。
 
 社会主義国ということで アメリカ国籍保持者は
 
 入国も あらかじめビザを申請したり、
 
 準備段階から 他の国とは違うなと感じていたけれど、
 
 いや~~、やっぱ、違いますね~!
 
 
 ベトナムのホーチミンといい、
 
 カンボジアの ポル・ポトといい、
 
 どちらもフランスに行って 
 
 帰国後に革命を起こしているけれど
 
 いったい、フランスってどんなところ???                   ↑  護衛の兵隊さんたち