東南アジア旅行 ベトナム・ハノイ その2 ハノイ・ヒルトン
ハノイ・ヒルトンを見学させてもらった。
ハノイ・ヒルトンとは、ホテルの名前ではなく、捕虜収容所の名前。
ベトナム戦争時代、捉えられた米軍捕虜兵士たちが 多数収容された、ホアロー刑務所のことを
皮肉って、ハノイ・ヒルトンというあだ名で呼ばれていたのだという・・・・・。
入り口 ↓
現在のハノイ・ヒルトンは もともとの刑務所の一部分だけが残されていて、
残りは開発され、ハノイ・タワーというビルに変身を遂げている。
もともとこの刑務所は、フランス政府により、ベトナムの罪人を収容するために作られたものだった。
見学の最初の部分は、フランス側が どのようにベトナム囚人を扱ったかを展示する内容のもの。
ベトナム囚人達が 鉄の足かせにつながれ、人権を奪い取られた状況で収容されていたという、
悲惨な内容が紹介されていた。
銅版に刻まれた ベトナム囚人達の受けた悲惨な状況が いくつか紹介されていた。 ↓
政治犯や 思想犯などは、ギロチンによる首切りの刑。
実際に ギロチンで首を落とされた囚人の生々しい
頭部の写真も 展示されていた。
ここで亡くなったベトナム囚人達を弔う メモリアル(記念碑)
↓
展示の一室は、米兵の収容の様子が主に写真と説明によって 展示されていた。
その内容は、米兵達が クリスマス礼拝のために ハノイの教会に出席させてもらっているところとか、
家族からの手紙や 物資を受け取って 笑顔を見せているところとか、
スポーツやゲームを楽しんでいる様子とか、医者による治療を受けている米兵の様子とか・・・・・・
前回の大統領選挙で オバマの反対陣営として 共和党から出馬したジョン・マケイン上院議員も
パイロットとして ベトナム戦争参戦中に 打ち落とされ、ベトナム人に捕らえられ
6年間収容されていたことで アメリカではよく知られている。
それが、このハノイ・ヒルトンだったとは・・・・・・知らなかった。
当時のマケインの写真 ↓
展示の内容からだけ見ると
フランス人のベトナム囚人への対応は 残虐きわまりなく、
ベトナム人のアメリカ人捕虜への対応は、寛大そのもの・・・・・・
でも、これって どこまでが本当なのか・・・・・・???
ベトナム人のフランス人への感情には 特別なものがあるモヨウだ
また、アメリカに対しても 似たような感情をもっているとガイドさんが言ってくれた。
日本だって、インドシナ戦争にも深く関わっているわけだし・・・・・・・。
悲惨な戦争の記憶がまだ新しいベトナム、理解しようなんてこと自体が 大変おこごましいことだけど、
知ろうとすることからしか入ることができないので、
これからも興味をもって学ばせていただきたいと思う。