困難なケース
摂食障害の患者さん。
病院の治療プログラムに数週間入院されているが、なかなか病状が改善されない。
治療は精神治療(カウンセリング、セラピー、グループセッションなど) と、食事療法。
しかし、ここ2.3日のうちに 胃ろうと透析をしなければ 命が危ないというところまできている。
なのに、患者さんの意思は 胃ろうも透析も拒否。
患者さんとしては 治って健康な人生を送りたいという希望がある・・・・。
でも食事にもほとんど手をつけないし、少量の水をのむことすらままならない。
一日60キロカロリーしか摂取できていないという現状。
(人からコントロールされ、複雑に傷ついてきた患者さんは、
人と自分をコントロールするために 食事しないという方法で自己表現。)
生きたいという希望と、自分には価値がない、消滅すべきという 気持ちの葛藤。
病院側は 倫理専門家も含めて 治療チームの方針を決定する会議をもった。
その結果、患者さんに摂食障害プログラムから退院してもらうことになった。
(=死に向かう可能性が大ということをも意味している)
治療方針に応じず、懸命の数週間の治療・看護にも関わらず、
最後まで自分の意思を通すことを選ぶ患者さんを 自分たちの管理下で死なせることはできないと・・・。
この会議に参加して、
摂食障害という病気の深刻さと 医療の限界を痛感させられた。
まるで、進行型のガンが 医療の最善の治療を受けても 進行し続けて、
患者も医者も 「生きたい」 「生かしたい」と思っていても 手をつけられない状態で
最終的に 緩和ケアーを選ぶしか道がないというところに来てしまっているかのような状況。
深刻な摂食障害は、難病ひとつなんだなあと あらためて感じている。