チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

音吉さん、完結編


学校が来週は スプリング・ブレイクで一週間休みになる (春休み)
今学期 半分以上のところまできたことになる・・・

休みと言っても 気を緩めずに 最後まで一つ一つの課題をこなさねば・・・
4月末までに 
2つの中サイズのレポートと 
大サイズのレポート1つ(約30ページ!)
期末テストと 小レポートが 2つ
これらの課題を仕上げるために読まなければいけない本が 5冊ほど・・・

後半も ペースを持続しながら こつこつと図書館通いが続きそうだ


さて、まだ卒業後のことも決まっていないと言うのに、
夏をどのように過ごすのかを 考え始めた

本当は仕事を探しているのだけど、現在この地域には希望するものがなく、
別の州に移動する覚悟で 仕事探しをしなければならない・・・・・


何も決まっていないのをいいことに、日本とシンガポールに行こうと思っている
実は夫も 7月末には 今後の動向がわかるらしきことになってきた・・・

夫がシンガポールを離れたらば もう東南アジアに行くこともあるまい・・・・
アメリカに帰りたいが、シンガポールを去るとなるとなればなったで
まだ行っていないところを旅行したい気持ちが 夫にはわいてきた様子

それで、またまたシンガポールに行って、一緒に小旅行をしようということになった

去年の10月に行った際に、『もう来ることもないだろう』と思っていたが・・・
行くとなればなったで、見学するところをひそかに決めている

それは シンガポールの日本人墓地

1832年に 嵐に合い、14ヶ月間太平洋を漂流して ワシントン州に打ち上げられた日本の千石船の生存者 音吉をはじめとする3人の船乗りは
白人の西部入植者らに保護され、ここバンクーバーにつれてこられた

彼らは英語教育を受け、クリスチャンとなり、
日本帰国を目指してマカオに滞在中、日本へのキリスト教伝道を目指すギュツラフ宣教師と出会い、ギュッラフを手伝って 初の日本語聖書を訳したのだ
その名も ギュツラフ訳聖書

彼らは、日本への帰国を試みるが 鎖国時代のため砲弾に合い(モリソン号事件)
結局日本に帰ることはできなかった

彼らは マカオに住み結婚して生涯を過ごすのだが、
リーダー核の音吉は その後シンガポールに渡り住み、マレーシア人と結婚
(当時、シンガポールはマレーシアの一部だったからね)
シンガポールに住んだ初の日本人として ビジネスに成功したのだという

そのお墓が、シンガポールに今でもあるのだ
まさかまた シンガポールに行けると思っていなかった私は
1月に夫に日本人墓地に行ってもらって、写真を撮ってもらっていた

イメージ 1

 
日本人墓地はシンガポールの都市開発と共に 現在の位置に移動し、
音吉の墓は 他のものとは違い、大きなサイズの墓になっているらしい
 

イメージ 2

今度は是非自分でそこに行ってみて 音吉の人生をたどりたいと思う・・・

時代の波に流されながらも 強く行きぬいた音吉の人生は 過酷だったろうが
後の世代に多くの遺産を残すすばらしい業績を残してくれた

彼が 異人として苦労し、キリストに出会ったアメリカと
祖国に帰国できず 異人として生涯を生きたシンガポール
この二つの場所をつなぐ、信仰と聖書の世界・・・・・・

うわ~~~~っ! すごいロマンやんか~~

この二つの場所に行くことができることも うれしい!
(もちろん、夫に会えることが一番うれしいのだが!!)
私の中で、音吉さんの完結編が この夏実現しそうだ

あ~ わくわく~~~