チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

尊厳死


12月末で チャプレン・フェローの仕事も 節目を迎える 
この3ヶ月で色々な患者さんたちの ケアをしてきた

その中でも尊厳死を希望された患者さんのことは 記憶に強く残っている

ずっと健康だったというその患者さんは 8月末にめまいから転倒するようになり
診察を受けたところ、進行性の白血病と診断された

入院され化学療法(キモセラピー)を受け始められた
「自分にはチャプレンのサポートは必要ありません」と言われたため見守っていた

(チャプレンのサポートは要らないと断られる場合には
医療チームのミーティングで 患者さんの現状を把握しておく)

化学療法の2ラウンド目を受けられていたが 病状は悪化し続け、
ますます弱っていかれた

そのころから この患者さんは チャプレンのサポートを希望され
一切の治療を中止し、緩和ケアーに方針を変えることにされたのだった

死と言う結果は避けられない、けれど
治療を止めたあとも、急速に死に向かうわけでもなく、小康状態が継続

口の中が腫れ上がり、唇は何をしても乾燥して切れ いつも血がにじんでいる
「自分はこんな状態で もし2ヶ月も3ヶ月も生きるとなれば 生き地獄」と
正直な気持ちを話され、「尊厳死を選びたい」と言われた

アメリカでは尊厳死が認められている州が少ないのだが、オレゴン州はその一つ
先日も、29歳の若さで脳腫瘍の女性が尊厳死法を使うため
カリフォルニアから引越しまでして、死なれたのは話題になったばかり

結局、病院はオレゴン州にあっても、軍病院は 連邦政府の管轄であることから
私の病院では尊厳死をサポートすることはできないらしい

それを知った患者さんは 食事を拒否して死を早めることに決められ、
きちんと成人した子供たちや 兄弟を集めて 自分の意志を説明された

私とは 「天国はどんなところですか?」など具体的な質問をされ、
人生でご自分の愛したことや 大好きなことなどを語られ
「人生に何も思い残すところはない」 「いい人生だった」と語られた

そして、深刻な話題の合間に、こんな話も・・・

患者さん「今日、最後の食事を食べたんですよ。もう死ぬまで何も口にしません」
私「そうですか。 どんな心境ですか?」
患「特に、これといって何も感じていません。」
私「ところで、最後に食べたものは何?」
患「魚料理です」
私「え~!?  満足ですか? 魚でよかったんですか? ステーキとかは?」
(もともと口の中が腫れているから ステーキは無理なのに、私ときたら)
患「ええ、魚 好きなのでよかったですよ」
私「『もし人生で最後の食事と言われたら,何が食べたい』とか、
よくふざけて話したりするけれど、魚でしたか~」
患「兄が魚の養殖をやっていたりして、もともと魚が好きなんです」

状態が安定しているため、この患者さんは施設に移っていかれたために
その後、亡くなられただろうが、明確なことはわかない

尊厳死の問題が 社会的に取り上げられる中、
今回はじめて自分が関わることになり、いろいろと考えさせられた

結局この患者さんは 尊厳死を選ぶことができなかったけれど
これからチャプレンとして仕事をするならは、必ず遭遇することとなるだろう


ちなみに、尊厳死の許されるオレゴンでは
患者が希望を示されたら、NPO団体の尊厳死を援助する団体に連絡する
団体では、患者さんの現状や余命、治療状況などを調べるとともに
カウンセリングによる患者さんの意思確認などを行い、
尊厳死が希望通り問題ないと決定されたら、ほう助する医師を紹介。

州も法律として認めている限りは、自殺ほう助する医師を指定している
オレゴンでは 死にいたる錠剤を飲むのだが、他人(医師や家族)の力をかりず、
自分の力で その錠剤を飲むことができる患者に限られている


私の属している パリアティブ・ケアーこそ 
個人の価値観や死生観を尊重し、寄り添う=いわば尊厳死に近いものだと思うが、
それでもなお、それ以上の選択肢を求める患者さんの意志にふれ
現実の大変さを再確認させられ、大変勉強になった