チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

アメリカの病院の対応

1月4日の夜中に 夫を救急に連れて行き、
そのままICU(集中治療室)に入院となって、思いがけず、数時間で亡くなった。
人工呼吸器を拒否したためだ。

臨終の時が来ると、看護士は部屋の外に出て、気配はあるが声はかけてこない。
私を気遣って、「存分に別れのときを過ごしなさい」とばかりプライバシーを与えてくれた。

夫の死があまりにも早く訪れたために、
臨終には 彼の妹夫婦も 私も母も 間に合わなかった。

私が看護士に「彼らが来るまで1時間ほどかかりそうなんですけど、
このままで待っていてもいいですか?」と聞くと、
「どんなに時間がかかっても大丈夫です。
 急がないで ゆっくり別れをしてください。」といわれた。

母と妹夫婦が駆けつけるまでの1時間、
私は 座ったまま亡くなった夫に向かって、最後の別れの時をゆっくりと過ごすことができた。
肉体はそこにあっても、もう夫の魂はそこにはないのだろうが、
まだ暖かい夫を見ていると、まだここにいて私の声が聞こえるような気がしてならない。
目を開けていた状態で亡くなったので、まだ私のことが見えているように思えてならない。

生きている人間が死ぬというのは、なんと不思議なことか・・・。
今まで息をして、コミュニケーションをとっていたのに、
急にそこにいるのに、いなくなってしまう・・・。
ジムは 安らかな顔になって 過酷な肉体から開放されたような安らぎがあった。

母たちがもうすぐ来るだろうと思い、さすがに目を開けたままでは ショックだろうかと考え、
私はそっと夫の両目を閉じさせた。

夫のまつ毛は クルンと長くてとてもきれい!
元気だったころ、私はよく、
「キレイなまつ毛! うらやましいー!
 もしあなたが先に死ぬようなことがあったら、
 私は絶対 あなたのまつ毛を移植させてもらうからネー!」
なんて冗談を言って、ジムも 「いいよ!」なんて答えていた。

ともかく、約1時間して、母と妹夫婦が到着した。
そして、彼らもまた 別れのときを持った。
その後 1時間ほど、今後のことについて 妹夫婦と話をする間も、遺体はそのまま。
納得のいくまで 夫を別れをし、やっと病院を出た。

あとで、母がポツリと言った。
「アメリカの病院って、本当に日本と違うね。
 日本なら 看護婦さんが すぐに遺体の周りを整えたり、
 目を閉じさせたり、寝かせたりすると思うけど、
 こっちは、自然に死んだ姿のまま 何時間でもほうっておくんだねー。」

いいのか悪いのか? その母の言葉の意味は定かでない。

でも、私が感じたのは、
愛する人が亡くなってしまうという 非常に悲しいパニックの中にあるとき、
他人である看護士にバタバタと入り込まれるよりも、
静かに 納得がいくまで過ごさせてもらったほうがいい。

人が死ぬという最大の出来事は、きれいごとではないのだ。
信じられない現実を受け止め、きちんと見送らなければならない。

夫は過酷な肉体の戦いを戦い抜いて、立派だった。
私は、何度も何度も彼に この22年間のすばらしい生活を「ありがとう」と言えた。

その言葉は、夫が私との生活で、毎日のように私に言ってくれていた言葉だった。

病院に対応には感謝している。