チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

出会いのきっかけ

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                  付き合い始めたころのジム


私たち夫婦の出会いのきっかけは、アメリカ人のポールという男性がつくってくれた。
ポールも短期宣教師として、大阪の教会で奉仕をしていた心優しい青年だった。

大阪の教会で英会話を教えていた時、ジムはポールと知り合いになった。

当時、ポールは、週に1回私の母教会で英会話を教えていたので、
私が休みに故郷京都に帰省したとき、初めてポールに会い、英会話の練習だ!とばかりに、
ポールと時間を過ごさせてもらっていた。

ポールはピアニストでもあり、日本のアパートではピアノを持っていなかったこともあって、
うちに時々遊びに来てもらっては、ピアノを弾いて聴かせてもらっていた。
ラグタイムなど、即興で、さまざまな曲を次から次へと弾く・・・・・。
久しくピアノを弾いていなかったのだろう。

お国では、無声映画に合わせてバックミュージックを弾く、珍しい仕事をしていたこともあるという。

そんな時、ポールは「大阪にリエにぴったりと言う感じのアメリカ人でジムと言う人がいるんだけど、
  そのうち、紹介してあげるよ。」と言っていた。

同時に、ジムにも私のことを「きみにぴったりの女性がいる」と言っていたらしい。

ところが、その紹介を実現できないままに、ポールは事情ができ、アメリカに帰国してしまった。

さて、私は1984年に学校を卒業し、一度海外に出て、奉仕活動をしたいという希望を持っていた。
そして、情報を得たインドで奉仕をするポジションに申し込もうと思っていたが、
インドで同僚となる奉仕者はほ、とんどがアメリカ人なので、英語が話せないといけないと言われた。

当時、私はラジオで英語を独学していたため、たどたどしい英語で自信などなかったので、
アメリカ人と一緒に奉仕活動などできるかどうか、心配だった。

そこで、以前に聞いていたジムのことを思い出したのだった。
ポールが
「ジムは、ロスアンジェルスで英語学校に行っていた日本人をたくさん知っているから、
 アメリカの英語学校の情報がもらえるはずだ。」と言っていたのだ。

思い立ったら、行動に移すのは早い私のこと。思い切ってジムに電話をかけてみた。
なんとか、会う約束を取り付けることができた。

このときは、まさかジムと結婚することになるなどとは、夢にも思わず、
ただただ、アメリカの英語学校の情報がほしかっただけだった。


ポールと彼の奥さんJさん(日本人)とは、今も交流が続いている。
先日ジムの死を知らせたときは、二人とも本当に驚いて、悲しんでくれた。
彼らは2人の子供をもち、アメリカでよい家庭を築いている。