弁護士
ジムの葬儀の際、アメリカ軍からいただいた国旗
ジムは 生きていた間、何の保障ももらえなかった。
障害者年金も、退役軍人の障害者手当ても、もらえるはずの公的なお金は1ドルとしてもらえなかったのだ。
唯一もらえたのは、高度障害医療。
もらえたというより、医療費は払わなくて済んだが、自然療法は11月までは自費だった。
障害者年金も軍の手当ても、まだ申請中で、結果が出ていないのだ!
本人がいなくなってしまっても、申し込んだ日から亡くなった日までの間の手当てが出る可能性がまだあるらしい。あーあ、いつになることやら・・・・。
ジムが亡くなって、アメリカの社会保険庁から連絡があり、遺族に一時金がおりるので、
その手続きをするようにと 郵送で書類が送ってきた。
そのことで、社会保険庁のこの地域(郡)の支部に連絡をとり、アメリカに来てはじめて公的なお金がもらえた。
225ドル。(日本円で約25000円)
ありがたいと同時に、なんだか情けない。
ところで、その手続き受け付けてくれた、ミシェルという女性が、障害者年金の申請をもう一度確認してくれた。
障害者年金は申請しても、却下されることが当たり前らしく、
何度でも、もらえるまでアピールし続けるものだと 誰もがアドバイスをくれる。
ジムの場合も却下され続けているので、アピールし続けている。
ところが、ミシェルが調べたところによれば、
アメリカと日本で年金をかけてきた人の場合、申請の書類に特殊なものを使うらしく、
ジムの場合、それができていないため、永遠に却下され続けることになるという。
この状態を打破するためには、アピールをやめ、
きちんと書類をそろえて、あらたなケースとして申請をするべきだといわれた。
ミシェルは、その支部でもこんな件を扱ったことがないので、個人的に注意を払い、
ちゃんとフォローしてあげると、自ら調べ始めてくれた。
そして、私は彼女とアポイントをとり、一緒に約3時間かけて、書類を作成した。
あらたに申請することで、これまでのジムのサイン入りでの申請は 中断してやめることに。
私が故人に代わって 申請するのだ。
ここで、私には一つの頭痛が出てきた・・・・。
それは、ジムが依頼していた弁護士、サラ・ギャビンをどうするか。
彼女はジムの代理人であり、私の代理人ではない。
ジムのこれまでの申請が無効となった今、連絡をして降りてもらわなければならない。
簡単に彼女が降りてくれるかどうか・・・・。
ジムが障害者年金をもらえることになれば、彼女はその25%を手に入れることができるはずだったのだ。
2006年10月17日のブログにも書いたが、サラは、非常に怖い人。
よくアメリカの弁護士ドラマで スゴ腕の女弁護士が出てくるが、まるであんな感じ。
一度会ったが、キレルというか、無駄がないというか、テキパキしていて、
部屋中に緊張の空気が張り詰める・・・・。
彼女が自分の味方にいてくれるのは、力強いが、敵には絶対なりたくないタイプ。
あーあ、なんと言って電話をしよう。
これまでの彼女の活動に対して大金を請求されたりして・・・!
(これまで、彼女はジムの代理人として 3度ほど 社会保険庁に手紙を書いてくれた)
彼女に電話をかけるのは 伸ばし伸ばしになりそう。
誰か、私の代わりに 弁護士サラ・ギャビン女史に断りの電話をかけてください!!!!
ジムは 生きていた間、何の保障ももらえなかった。
障害者年金も、退役軍人の障害者手当ても、もらえるはずの公的なお金は1ドルとしてもらえなかったのだ。
唯一もらえたのは、高度障害医療。
もらえたというより、医療費は払わなくて済んだが、自然療法は11月までは自費だった。
障害者年金も軍の手当ても、まだ申請中で、結果が出ていないのだ!
本人がいなくなってしまっても、申し込んだ日から亡くなった日までの間の手当てが出る可能性がまだあるらしい。あーあ、いつになることやら・・・・。
ジムが亡くなって、アメリカの社会保険庁から連絡があり、遺族に一時金がおりるので、
その手続きをするようにと 郵送で書類が送ってきた。
そのことで、社会保険庁のこの地域(郡)の支部に連絡をとり、アメリカに来てはじめて公的なお金がもらえた。
225ドル。(日本円で約25000円)
ありがたいと同時に、なんだか情けない。
ところで、その手続き受け付けてくれた、ミシェルという女性が、障害者年金の申請をもう一度確認してくれた。
障害者年金は申請しても、却下されることが当たり前らしく、
何度でも、もらえるまでアピールし続けるものだと 誰もがアドバイスをくれる。
ジムの場合も却下され続けているので、アピールし続けている。
ところが、ミシェルが調べたところによれば、
アメリカと日本で年金をかけてきた人の場合、申請の書類に特殊なものを使うらしく、
ジムの場合、それができていないため、永遠に却下され続けることになるという。
この状態を打破するためには、アピールをやめ、
きちんと書類をそろえて、あらたなケースとして申請をするべきだといわれた。
ミシェルは、その支部でもこんな件を扱ったことがないので、個人的に注意を払い、
ちゃんとフォローしてあげると、自ら調べ始めてくれた。
そして、私は彼女とアポイントをとり、一緒に約3時間かけて、書類を作成した。
あらたに申請することで、これまでのジムのサイン入りでの申請は 中断してやめることに。
私が故人に代わって 申請するのだ。
ここで、私には一つの頭痛が出てきた・・・・。
それは、ジムが依頼していた弁護士、サラ・ギャビンをどうするか。
彼女はジムの代理人であり、私の代理人ではない。
ジムのこれまでの申請が無効となった今、連絡をして降りてもらわなければならない。
簡単に彼女が降りてくれるかどうか・・・・。
ジムが障害者年金をもらえることになれば、彼女はその25%を手に入れることができるはずだったのだ。
2006年10月17日のブログにも書いたが、サラは、非常に怖い人。
よくアメリカの弁護士ドラマで スゴ腕の女弁護士が出てくるが、まるであんな感じ。
一度会ったが、キレルというか、無駄がないというか、テキパキしていて、
部屋中に緊張の空気が張り詰める・・・・。
彼女が自分の味方にいてくれるのは、力強いが、敵には絶対なりたくないタイプ。
あーあ、なんと言って電話をしよう。
これまでの彼女の活動に対して大金を請求されたりして・・・!
(これまで、彼女はジムの代理人として 3度ほど 社会保険庁に手紙を書いてくれた)
彼女に電話をかけるのは 伸ばし伸ばしになりそう。
誰か、私の代わりに 弁護士サラ・ギャビン女史に断りの電話をかけてください!!!!