市役所の対応
窓からブルーバードの撮影に成功!
さて、婚姻届を出す際、私の戸籍がどうなるのかを調べた。
(これは、あくまでも1984年当時の国際結婚法であり、法改正によって、年々変化しているため、
現在の法律とは、違うと思われる。)
日本人同士の結婚の場合、女性は自動的に男性の籍に入るが、ジムは日本に戸籍がない。
そのため、私には2つの選択肢があった。
1つ目は、籍をそのまま両親のもとに置き、「○月○日アメリカ国籍の○○と婚姻届受理」という
記載が残る形にする方法。
2つ目は、親の籍から独立し、ひとりで新たな世帯主として戸籍をつくり、
そこに同様に「○月○日アメリカ国籍の○○と婚姻届受理」という記載が入る方法。
市役所の担当職員が、「2つ目のは、やめておいたほうがいいですよー」と私を説得する。
「クローチなんてカタカナで登録してしまったら、妙な名前だし、日本では通用しない名前ですしねー」
「それにご主人が亡くなったり、離婚した場合でも、簡単には苗字が変えられないので、
あとあとのことを考えたら、独立した戸籍は持たないほうが 絶対いいですよ」と言うのだ。
そんなこと、放っておいてくれィという感じで、個人的なことを 知らない人にごちゃごちゃ言われたくない。
また、当時の国際結婚法は、ひどかった。
日本人男性と結婚する外国人女性にはすぐに永住権が与えられたが、
日本人女性と結婚する外国人男性には、永住権は与えられなかったのだ。
これは、完全なる男尊女卑。アメリカでは、男女に関係なく、結婚相手には永住権が与えられた。
それに、もし独立した戸籍をつくり、子供ができた場合、母親の私しかいない戸籍にそのこを入れると、
母子家庭となる。
逆に、子供をアメリカ国籍にすると、独身とみなされ、子供はいないことになっているので、
義務教育を受ける資格がなくなる。
などなど、多くの問題があった。
結局、私は、日本が先進国でもなんでもないことに、今さらながらに失望した。
それで、どうでもよくなって、親の籍に自分の名を残すことにしたのだった。
国、文化、法律。 これまで、考えたこともなかったことばかり・・・・。
でも、それからの人生、私は 国、文化、法律 を深く考えずにはいられないことがたくさん起こっていった。
さて、婚姻届を出す際、私の戸籍がどうなるのかを調べた。
(これは、あくまでも1984年当時の国際結婚法であり、法改正によって、年々変化しているため、
現在の法律とは、違うと思われる。)
日本人同士の結婚の場合、女性は自動的に男性の籍に入るが、ジムは日本に戸籍がない。
そのため、私には2つの選択肢があった。
1つ目は、籍をそのまま両親のもとに置き、「○月○日アメリカ国籍の○○と婚姻届受理」という
記載が残る形にする方法。
2つ目は、親の籍から独立し、ひとりで新たな世帯主として戸籍をつくり、
そこに同様に「○月○日アメリカ国籍の○○と婚姻届受理」という記載が入る方法。
市役所の担当職員が、「2つ目のは、やめておいたほうがいいですよー」と私を説得する。
「クローチなんてカタカナで登録してしまったら、妙な名前だし、日本では通用しない名前ですしねー」
「それにご主人が亡くなったり、離婚した場合でも、簡単には苗字が変えられないので、
あとあとのことを考えたら、独立した戸籍は持たないほうが 絶対いいですよ」と言うのだ。
そんなこと、放っておいてくれィという感じで、個人的なことを 知らない人にごちゃごちゃ言われたくない。
また、当時の国際結婚法は、ひどかった。
日本人男性と結婚する外国人女性にはすぐに永住権が与えられたが、
日本人女性と結婚する外国人男性には、永住権は与えられなかったのだ。
これは、完全なる男尊女卑。アメリカでは、男女に関係なく、結婚相手には永住権が与えられた。
それに、もし独立した戸籍をつくり、子供ができた場合、母親の私しかいない戸籍にそのこを入れると、
母子家庭となる。
逆に、子供をアメリカ国籍にすると、独身とみなされ、子供はいないことになっているので、
義務教育を受ける資格がなくなる。
などなど、多くの問題があった。
結局、私は、日本が先進国でもなんでもないことに、今さらながらに失望した。
それで、どうでもよくなって、親の籍に自分の名を残すことにしたのだった。
国、文化、法律。 これまで、考えたこともなかったことばかり・・・・。
でも、それからの人生、私は 国、文化、法律 を深く考えずにはいられないことがたくさん起こっていった。