チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

手作り結婚式 あれこれ

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        ジムが日本の両親と呼んでいたYさん宅で (結婚の報告)

私たちは、世の流れに反し、質素な手づくりの結婚式を挙げることにした。

招待状は、「プリントごっこ」で作り、結婚式のプログラムは、教会のガリ版で作成。
ケーキは、教会のNさんが、プロ級の腕前で 焼いてくださることになった。
オルガニストは 神学校の同級生のプロ。
ブーケとおそろいの頭の花飾りは、山口百恵風のものを、教会の婦人が手作りでプレゼントしてくださった。

皆さんのご好意とご理解と愛情に支えられて、少しづつ準備がなされていった。

さて、ウエディング・ドレスだが、思いがけず、無料でオーダーメイドで作ってもらえることになった!
というのも、教会が新しい土地に引っ越して教会堂を建て、私たちが第1号の結婚式となったのだが、
たまたま、教会のご近所に夫婦で貸衣装のウエディング・ドレスを縫っておられる家があった。

そのご夫婦は、「キリスト教式の結婚式を見たことがないので、機会があったら見せてほしい」
といわれていたため、私たちの式を是非見に来てくださいと言ったところ、
「まだドレスが決まっていないのだったら、無料でプレゼントしたい」とおっしゃったのだ!!

それで、私は採寸していただき、当時流行していた5つぐらいのデザインの中から、
好きなデザインを選んで、なんと 素敵なドレスを無料で作ってもらったのだった。

「生地もたくさんあまっているので、何の出費もないから 無料でいいです」とおっしゃる。

それで後日、少しではあったが、お礼だけはさせていただいた。

アメリカ永住権のほうも、健康診断を受けたり、警察からの書類をそろえたりして、提出し、
東京のアメリカ大使館まで 出向いて 無事に手続きが完了。

1月1日の式に向けて、ジムと私の気持ちも固まって行った。
このころになると、私たちは会った後の別れがとてもつらくなっていた。

ジムは、バスや電車で別れるとき、いつも後部の窓から 悲しそうな目をして私に手を振っていた。

「もう少しで、『さよなら』を2度と言わなくてもいい時が来るんだね!」と互いに励まして・・・・。

でも、22年後に 地上での『さよなら』を言わなければならなくなるとは、
当時の私たちは 予想だにしていなかった。