チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

教会

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夫が天に行って5ヶ月になる。

いろいろとつらいこともあるが、毎週教会に行くのが特につらい。

教会は、夫と私が最も充実したときを過ごした場所。

共に賛美を歌い、聖書を読み、メッセージを聞き、神と向き合い、新しい気持ちで1週間をはじめる。

生活の中で、とても大事な位置を占めている。


今は、ひとりで運転して行き、ひとりで教会の長椅子に座り、ひとりで賛美歌を歌い、

ひとりで聖書を開き、ひとりでメッセージを聞く。

ほとんど最初から最後まで泣いてしまう。


神の前では、どんな気持ちもつくろうことなく、本当の自分になれる。

いつもは平気を装っていても、胸の中がさみしさ、悲しみで一杯。

教会では そのふたが外れて、一気に感情が噴き出してしまう。


最初は、さみしさ、悲しみで泣いているが、

その内に、神の愛が私を圧倒して、感謝の涙に変わっている。


人は時間だけでは癒されないことを知った。

人は魂に神の慰めがなければ完全に癒されることはない。

私は、神の慰めを確かに受け、み手の中で、癒しを受けている。


ジムがこの世から天国に行ったことは、もっとも素晴らしいことだと、本当に思っている。

私のところに戻ってきてほしいなどと考えるのは、自己中心的な考えだ。

誰にとっても、神のもとにいるのが、最善の場所なのだから。(私だって神のもとに早く行きたい!)

だから、素直に、彼のために喜んでいる。


問題は、この孤独感との戦いだ。


時々、ジムが夢に現れる。

夢の中では、必ず元気なころのジムに会える。

嬉しいはずが、朝が来て、夢から覚めると、なんともいえない悲しみがこみ上げる。

だから、ジムに「夢に出てきてね」と、言わなくなった。


愛する人を失った多くの人たちが、人知れず、私と同じような思いをしながら、毎日を生き続けているのだろう。