チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

母・ドロレスの畑

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母は、畑でいろんな作物を育てていた。

ほとんど家で食べるものは、自分の畑で取れたもの。

私「お母さーん、今日の夕食、どうするー?」
母「そうねー、豆でも食べましょうか。 リエ、取って来てー。」とこんな感じだ。

私は「OK」と麦藁帽子をかぶって豆の収穫へ向かう。

家で取れる野菜は、どれもこれも新鮮で、とてもおいしかった。

母は、特に自然食に凝っていたから、無農薬も徹底していたし。

ブロッコリーなんかは、料理する前に 青虫を取るのが大変だった。

キャベツが豊作になると、千切りにして塩漬けし、ビンに詰めてサワークラウト。

たまねぎは、古いネットに入れてパントリーの地下室の天井からぶら下げて保存。

とうもろこしも、トマトも嫌というほど取れた。


また、母はハーブティーに凝っていて、

様々なハーブを育て、乾燥させ、毎日種類のちがうハーブティーを楽しんだ。


一緒に散歩に行くと、母は、「この植物の名前は○○、これは□□」などと説明して、なかなか前に進めない。

時々自分の知らない植物やきのこを見つけると、図書館に行って調べる。

図書館でもわかないと、大学の植物教授のところまで持っていって見せて調べるほどだった。

「このきのこは△△という名前で、食べられるんだって」などと言って、楽しそうだった。


また、彼女は自然治癒にも凝っていたため、家庭療法をいろいろと教えてくれた。

母と同居しなくなって、私が皮膚の炎症などを起こしたときは、きまってジムに

「ジム、お願い。お母さんに電話して、この皮膚の炎症どうしたらいいか、聞いてー。」と頼む。

すると、ジムはすぐに電話をかけて聞いてくれる。

「お母さんが言うには、ビタミン○○を 200mg 5日間飲みなさいだって。」とジムが教えてくれる。

私が教えられたとおりにすると、必ず炎症は治まったものだった。


私はよく母に
「お母さんは、植物博士みたいに物知りなのだから、私たち家族のために本を書いて
 レシピや 参考になる話を残してね。」と言ったものだった。

結局、彼女はそうすることもなく、世を去ってしまったが・・・・。

時々、ジムの母に会いたくなる。