スポケーンへの引越し
のんびりするココ
9月から始まる聖書学校の新学期に備えて、私たちはジムの両親に別れを告げて、
スポケーンへ引っ越す事になった。
1月から8月まで、ジムの両親には、アメリカ生活の基本を教えてもらい、本当によくしてもらった。
ジムの父は、私たちがレッドモンドに定住してくれるかもしれないという、
かすかな期待をもっていたようだったが、若い二人の希望を快く応援してくれた。
さて、こちらではほとんどの引越しは UーHAUL(「あなたが引っ張る」という意味)のトラックを安値で借り、
自分たちで引越しをするのが常。
車1台分ほどの箱のような形のけん引車を借りて、車の中には入らないものを積んだ。
大好きだった黄色のカブトムシ(フォルクスワーゲン)は既に1500ドルで売り、
中古車のトヨタを買ったが、あまり馬力がないので、ジムは坂道を荷物を引っ張って行けるか心配そうだった。
いよいよ、出発!
私たちは スポケーンに向けて出発した。
両親の家には、帰ろうと思えば1日で運転して来れる距離なので、それほど悲しく感じなかった。
長いドライブの後、スポケーンについた。
私たちのアパートは 玄関、12畳ほどの大きな部屋、6畳ほどのキッチン・ダイニング、
その奥にバスルームが 縦に並んでいる形のアパートだった。
ここは大きな古い一軒家が改造されており、隣にはリビア人男性とアメリカ人女性の夫婦が2LDKに、
2階には、離婚をして2人の子供をつれた女性が、3LDKに住んでおり、
近くのゴンザガ大学の看護科修士課程の勉強をしていた。
私たちのアパートの家賃は180ドル。
まだ仕事もないのに、優しいおじいさんが私たちを信頼して貸してくれた。
さあ、これから仕事探しだ。
一人の知り合いもいない、何のつながりもない、新しい土地で、私たちの生活はひっそりと始まった。
9月から始まる聖書学校の新学期に備えて、私たちはジムの両親に別れを告げて、
スポケーンへ引っ越す事になった。
1月から8月まで、ジムの両親には、アメリカ生活の基本を教えてもらい、本当によくしてもらった。
ジムの父は、私たちがレッドモンドに定住してくれるかもしれないという、
かすかな期待をもっていたようだったが、若い二人の希望を快く応援してくれた。
さて、こちらではほとんどの引越しは UーHAUL(「あなたが引っ張る」という意味)のトラックを安値で借り、
自分たちで引越しをするのが常。
車1台分ほどの箱のような形のけん引車を借りて、車の中には入らないものを積んだ。
大好きだった黄色のカブトムシ(フォルクスワーゲン)は既に1500ドルで売り、
中古車のトヨタを買ったが、あまり馬力がないので、ジムは坂道を荷物を引っ張って行けるか心配そうだった。
いよいよ、出発!
私たちは スポケーンに向けて出発した。
両親の家には、帰ろうと思えば1日で運転して来れる距離なので、それほど悲しく感じなかった。
長いドライブの後、スポケーンについた。
私たちのアパートは 玄関、12畳ほどの大きな部屋、6畳ほどのキッチン・ダイニング、
その奥にバスルームが 縦に並んでいる形のアパートだった。
ここは大きな古い一軒家が改造されており、隣にはリビア人男性とアメリカ人女性の夫婦が2LDKに、
2階には、離婚をして2人の子供をつれた女性が、3LDKに住んでおり、
近くのゴンザガ大学の看護科修士課程の勉強をしていた。
私たちのアパートの家賃は180ドル。
まだ仕事もないのに、優しいおじいさんが私たちを信頼して貸してくれた。
さあ、これから仕事探しだ。
一人の知り合いもいない、何のつながりもない、新しい土地で、私たちの生活はひっそりと始まった。