初めての定職
ワシントン州スポケーンでの生活が始まった。
さっそく、仕事を探す。私はフルタイム(週40時間)、ジムはアルバイト。
どのようにして、その仕事を見つけたのか忘れてしまったが、私は、託児所のスタッフの仕事が見つかった。
ジムは、大学が終わると、YMCAで学童保育の仕事。
私の働いていた託児所には0歳児から5歳児まで、年齢でクラス分けした子供たちが40-50人いたと思う。
私が任されたのは、1歳から2歳半の幼児。14人を 2人のスタッフで世話をする。
お絵描き、本の読み聞かせ、お散歩、お昼寝など、毎日準備されたカリキュラムに沿って、面倒を見る。
大人は 私が英語が分からないと、分かりやすくゆっくり話してくれたりするが、子供はそうではない。
こっちのことなど気にせず、マイペースで話してくるので、こっちも勉強になった。
子供たちは、時には天使となり、時には悪魔のようにわがまま。
アメリカの子供が初めに覚える言葉の一つが、「Mine!」。(私のもの!)
おもちゃや遊具を 他の子から取り上げたり、人を突き飛ばしたりして 独り占めにしようとするのだ。
子供は「罪がない」とか、「純真無垢」(じゅんしんむく)とか言うが、なんの、なんの・・・。
人は性悪説であることを まず学んだ。
さて、私にはお気に入りの男の子がいた。名前はニコラス。
未婚の母親に育てられている、金髪で緑の目をした活発な1歳半の男の子。
彼は、託児所の電話が鳴ると、電話が鳴ってるよと言おうとして、「テレフォン!」と言うのだが、
まだ言葉がちゃんとできないので、「テレローン!」とスタッフに知らせてくれた。
なかなか昼寝をせずに手こずらせるスタッフ泣かせのやんちゃ坊主。
おむつをした大きなお尻で、内股で走り回って、私たちを振り回し、疲れさせた。
託児所では、お昼ご飯と、おむつ交換の時間が地獄のように大変だった。
私は毎日汗だくになって、8時間一生懸命子供たちの世話をした。
先ほど、この託児所をインターネットで検索してみたところ、まだ営業している様子。
あれから22年も経っているので、変わってしまったことだろう・・・。