チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

ダニエル夫妻

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                  ダニエル夫妻とリエ


スポケーン市の教会で行なわれた世界宣教の大会で、壮年の夫婦に出会った。

そのご夫婦は、ダニエル夫妻。
彼らは、熱心なクリスチャンで、中国 特に台湾の人々にキリスト教が伝わり、真の幸せを得るようにと
多くの献金をささげ、台湾の教会の活動を支援しておられた。

ダニエルさんのご主人は、郵便局の職員で切手収集が趣味。とても温厚でおとなしい人。
奥さんが少しイライラいしていても、優しく対応していた。

奥さんは、短気なところもあったが、親切で中華料理をつくるのが 上手で、よく招待してくださった。

ダニエル夫妻と私たち夫婦で 泊りがけで集会に出かけたとき、レブンワースというドイツ村に寄った。

ダニエルさんの奥さんは、民族音楽が大好きだったので、大喜び。
いくつか音楽のテープを買って、長距離ドライブの間、ドイツの民俗音楽を楽しんだ。

さて夏になって、私たち夫婦は1ヶ月間日本に帰省する事になった。

ダニエルさんの奥さんは、異常なほどに「ジムとリエがいなくなるのが寂しい」と言って涙ぐんだ。

たった、1ヶ月の帰省で、またすぐに戻ってくると言うのに、何度も何度も、
「できれば、行かないでくれればいいのに。1ヶ月も会えないなんて、とても寂しい。」と言った。

私たちは、1986年の夏、1ヶ月日本に帰省して 無事スポケーンに戻ってきた。

けれども、ジムは、当時通っていた聖書大学に満足を感じておらず、オレゴンのユージーン市にある聖書大学に編入することを決めていたため、スポケーンを去ることになった。

ダニエル夫妻に オレゴンに引っ越すことを告げるために スポケーンに戻るとすぐに連絡を取った。
すると、なんと、私たちが日本にいた1ヶ月の間に、奥さんは末期ガンで、多くの転移もあることがわかり、
手術も治療も手遅れの状態で 入院されているという。

さっそく、お見舞いに行くと、奥さんは非常に悪く、寝たきりの状態。
1ヶ月前までは 元気で一緒に博物館にでかけたりして楽しんでいたのに、全く信じられない状態に変わっておられた。

ご主人の話では、2週間ほどしか命がないと 告知を受けたと言う。

私たちは、あまりの驚きに困惑してしまったが、意識もはっきりしておられたので、しばらく話をして帰った。

荷物をまとめ、ユージーン市に向けて スポケーン市を出発したとき、
たったの1年であったが、一生懸命二人で働いて過ごしたこと、
余命を宣告され 苦しんでいるダニエルさんの奥さんと 最愛の妻の闘病を見守るダニエルさんとの別れ、
様々なことが ドッと心に押し寄せて、涙が止まらなくなり、ジムが運転する助手席でしばらく泣いていた。

あとから思えば、奥さんが少しのことですぐに機嫌が悪くなったりしたのは、ガンでかなり体調が悪かったからなのだろうと思う。

それに、異常に私たちの帰省を寂しがったことも、どこかで自分の体に何かが起こっていることを察していたのかもしれないと思う。

私たちがスポケーン市を出て、しばらくしてから、奥さんが最後にはやすらかに召されたと言う連絡が
ダニエルさんから入った。

ダニエルご夫妻は、スポケーンで出会った大事な人々として、私の心にいつまでも残っている。