チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

チャレンジャー号 墜落

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誰でも、社会的な大事件が起こったとき、自分がどこで何をしていたか、同時に思い出すことができると思う。

たとえば 同時多発テロの「911」。

あの事件が起こったとき、自分がどこでどんな生活をしていて、このニュースを見たかはっきりと思い出せる。

NASAのロケット、チャレンジャー号の墜落もその一つ。

その日、私はいつものようにスポケーン市内の託児所で仕事をしていた。

室内で子供たちを遊ばせていたとき、給食を作る女性が出勤してくるなり、大きな声で、
「オー、ノー!!! チャレンジャー号が墜落してしまったのよ!!」
「みんなの見ている目の前で!」 彼女は涙をポロポロと流して、興奮して泣いていた。

職場のスタッフ一同、凍りついたようなショックを受けた。

テレビはつけられないので、すぐにラジオのスイッチを入れ、ニュースを聞いてみなで悲しんだ。

そのチャレンジャーには、当時始めて民間人が宇宙飛行士としてロケットの乗組員として選ばれたことでも注目されていたのだった。

その女性は、クリスタ・マコーリーさん。中学の科学の教師だったと記憶している。

前日までのニュースで、クリスタ・マコーリーの娘が 訓練のため久しく会っていない母に テレビ中継を通して「がんばってー!」とメッセージを送るなど、何かと話題が多かった。

4歳くらいの娘が、「お母さんが宇宙に行くことをどう思いますか?」とインタビューされて、
「行ってほしくない。 ロケットが落ちたら死んじゃって、会えなくなるから。」と応えていたのが
現実となってしまったのだった。

あの時、アメリカは、本当に落ち込んだというにふさわしい 暗く悲しい雰囲気がしばらく続いた。

1986年の1月、寒い寒いスポケーンの日だった。

それから随分経って、フロリダのケイプ・カナブロー沖で、シートベルトで操縦席に固定されたままの姿で
ロケットの中で息絶えていた宇宙飛行士たちが発見された。