Kさん
スポケーン近郊の麦畑
何かのきっかけで、日本人女性のKさんと知り合った。
Kさんは、日本にモルモン教の宣教師として来ていた男性と知り合い、結婚、渡米したという。
アパートに住んで1歳の男の子を産み育てていた。
彼女は、日本人の知り合いがいないらしく、私もいなかったので時々会っていた。
Kさんは、もうアメリカが嫌で嫌で、早く日本に帰りたいのだと言う。
ご主人は日本語がペラペラで Kさんとのコミュニケーションには困らなかった。
しかし、彼は自分の日本語を保持するためと言う理由で、Kさんには英語を覚えてほしくないらしい。
子供の世話もあるため、1日中狭いアパートでKさんは子供と向き合っていた。
ご主人は、仕事から毎日帰ってきた際、まるで日本に帰ってきたかのような雰囲気を失いたくないということで、
Kさんには日本語で生活を通すように要求。仕事もさせてもらえない。
運転免許も取らせてもらえないし、子供に病気が移るからといって買い物にも行かせてもらえず、
仕事の帰りにご主人が買い物をしてくれるらしい。
まるで、「かごの鳥」。「箱入り娘」ならぬ「箱入り嫁」の状態だ。
その上、ご主人は双子で、家族全員がみな仲がよく、大きな土地にそれぞれ家を建てて、兄弟みんながそこで生活。
そして、家族で店を経営しており、全員がそこで働いている。
この家族関係だけの社会に閉じこもっているらしい。
毎日、週末まで、親兄弟がピッタリしすぎているために、Kさんは息苦しくて気が狂いそうになってしまった。
それで、必死で主張し、やっとのことで、別にアパートを借りて生活できるようになったのだと言う。
子供が生まれて落ち着いたので、やっと親に孫を見せようと日本行きを計画し、チケットを買った。
ご主人がスポケーンから1日がかりで運転し、シアトルの国際空港まで送ってくれたらしい。
ところが、飛行機のチェックインの際に、子供のパスポートの提示を求められ、
その時に はじめてパスポートがなしには 子供であっても出国できないとわかり、
泣く泣くその時は、日本行きを断念せざるを得なかったと言う。
「子供のパスポートのことは、全く知らなかったし、必要だなんて知らなかったのよー。」言う。
彼女の話を聞いて、この人もかなり変わっているなと感じた。
さて、彼女が話してくれた面白い体験話がある。
子供を産む事になって、入院した。
ところが、彼女は英語がわからないので、主治医もそれを心得ていたのか、病室に来ても、彼女には言葉をかけずに、隣のベッドの妊婦さんに、「Kさんの食欲はどうか」「体調はどうか」など聞いていたらしい。
翌日、やっと出産し、元気な男の子を産んだ。
すると、主治医が病室に来て、さすがにこれぐらいの英語は彼女も分かるだろうと思ったのか、
Kさんにニコニコして「トゥモロー、バイバイ!」(明日バイバイです)と、手を振って見せたと言う。
つまり、翌日には退院という意味。
彼女は、出産のことばかり考えていて、てっきり日本のように5日ほど入院するものと思い込んでいたらしく、
この「トゥモロ-、バイバイ!」には、仰天してしまったと言う。
「えー!? アメリカってたった1日で退院? 考えられなーい! もうアメリカなんか大嫌い!」
帰宅後も、義理のお母さんを始めとする彼の家族は リハビリと称して 彼女がなるべく自分から動くことを勧め、あまり産後の手伝いをしてくれなかったらしい。
彼女のアメリカ嫌いは、ますます本格的に進行していった模様。
近い将来、家族3人で日本に移住し、ご主人には日本の会社で働いてほしいらしいが、
ご主人は家族の結束が固いため、なかなか首を縦に振らないという。
彼女たちは あのあと、どうなっただろう・・・。
私たち夫婦は、経済的に大変なこともあって、ジムが私を過保護にすることなく、運転や仕事をさせ、
アメリカ社会になじませてくれたため、とても対照的。
私はこのことも、ジムに本当に感謝している。
何かのきっかけで、日本人女性のKさんと知り合った。
Kさんは、日本にモルモン教の宣教師として来ていた男性と知り合い、結婚、渡米したという。
アパートに住んで1歳の男の子を産み育てていた。
彼女は、日本人の知り合いがいないらしく、私もいなかったので時々会っていた。
Kさんは、もうアメリカが嫌で嫌で、早く日本に帰りたいのだと言う。
ご主人は日本語がペラペラで Kさんとのコミュニケーションには困らなかった。
しかし、彼は自分の日本語を保持するためと言う理由で、Kさんには英語を覚えてほしくないらしい。
子供の世話もあるため、1日中狭いアパートでKさんは子供と向き合っていた。
ご主人は、仕事から毎日帰ってきた際、まるで日本に帰ってきたかのような雰囲気を失いたくないということで、
Kさんには日本語で生活を通すように要求。仕事もさせてもらえない。
運転免許も取らせてもらえないし、子供に病気が移るからといって買い物にも行かせてもらえず、
仕事の帰りにご主人が買い物をしてくれるらしい。
まるで、「かごの鳥」。「箱入り娘」ならぬ「箱入り嫁」の状態だ。
その上、ご主人は双子で、家族全員がみな仲がよく、大きな土地にそれぞれ家を建てて、兄弟みんながそこで生活。
そして、家族で店を経営しており、全員がそこで働いている。
この家族関係だけの社会に閉じこもっているらしい。
毎日、週末まで、親兄弟がピッタリしすぎているために、Kさんは息苦しくて気が狂いそうになってしまった。
それで、必死で主張し、やっとのことで、別にアパートを借りて生活できるようになったのだと言う。
子供が生まれて落ち着いたので、やっと親に孫を見せようと日本行きを計画し、チケットを買った。
ご主人がスポケーンから1日がかりで運転し、シアトルの国際空港まで送ってくれたらしい。
ところが、飛行機のチェックインの際に、子供のパスポートの提示を求められ、
その時に はじめてパスポートがなしには 子供であっても出国できないとわかり、
泣く泣くその時は、日本行きを断念せざるを得なかったと言う。
「子供のパスポートのことは、全く知らなかったし、必要だなんて知らなかったのよー。」言う。
彼女の話を聞いて、この人もかなり変わっているなと感じた。
さて、彼女が話してくれた面白い体験話がある。
子供を産む事になって、入院した。
ところが、彼女は英語がわからないので、主治医もそれを心得ていたのか、病室に来ても、彼女には言葉をかけずに、隣のベッドの妊婦さんに、「Kさんの食欲はどうか」「体調はどうか」など聞いていたらしい。
翌日、やっと出産し、元気な男の子を産んだ。
すると、主治医が病室に来て、さすがにこれぐらいの英語は彼女も分かるだろうと思ったのか、
Kさんにニコニコして「トゥモロー、バイバイ!」(明日バイバイです)と、手を振って見せたと言う。
つまり、翌日には退院という意味。
彼女は、出産のことばかり考えていて、てっきり日本のように5日ほど入院するものと思い込んでいたらしく、
この「トゥモロ-、バイバイ!」には、仰天してしまったと言う。
「えー!? アメリカってたった1日で退院? 考えられなーい! もうアメリカなんか大嫌い!」
帰宅後も、義理のお母さんを始めとする彼の家族は リハビリと称して 彼女がなるべく自分から動くことを勧め、あまり産後の手伝いをしてくれなかったらしい。
彼女のアメリカ嫌いは、ますます本格的に進行していった模様。
近い将来、家族3人で日本に移住し、ご主人には日本の会社で働いてほしいらしいが、
ご主人は家族の結束が固いため、なかなか首を縦に振らないという。
彼女たちは あのあと、どうなっただろう・・・。
私たち夫婦は、経済的に大変なこともあって、ジムが私を過保護にすることなく、運転や仕事をさせ、
アメリカ社会になじませてくれたため、とても対照的。
私はこのことも、ジムに本当に感謝している。