チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

リビア空爆

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ある休日 私たち夫婦はスポケーン市内のショッピングモールでウィンドウ・ショッピングを楽しんでいた。
そこで、ニュース速報が入り、人々がテレビの前に群がり始めた。

人々は、戦争が始まるかもしれないという不安にテレビに見入っていた。

私たちも人にまぎれて、レーガン大統領のスピーチを聞いた。

「ハイジャックや人質殺害などのテロ行為の指揮者であるリビアのカダフィ大佐の官邸を
 空爆することをアメリカ空軍に命令した。正義を求めるアメリカはテロを放置してはおかない。」
といった内容のスピーチだったと記憶している。

これまで、日本で生まれ育った私は、まさに、自分の住んでいるアメリカが軍事攻撃を行なったと知って、衝撃を受けた。

日本とアメリカの根本的な違いを はっきりと突きつけられた感じだ。

人々は、みなレーガンの国政を指示しているようだった。

この日を機に、私たちのアパートの隣に住んでいたリビア人男性とアメリカ人女性の夫婦が大声で口論するのが壁越しに聞こえるようになった。

悲しいかな、どうやらリビア人の夫が、職場で差別を受け、職を失った様子。
カダフィの問題と、彼に何の関係もないであろうに、現実には、リビア人がひどい目にあったのだ。

第二次世界大戦中も、西海岸の日系人たちは、強制収容所に連行された歴史の記憶も新しい。

ニュースでは、カダフィ大佐の小さい息子がこの爆撃によって死亡したと報道された。

幸か不幸か、空爆だけで、戦争に発展することもなく、カダフィはおとなしくなった。

国の問題はおさまっても、お隣の夫婦はその後も 夫婦喧嘩が続き、大変な様子だった。

1986年4月のことだった。