チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

ユージーン市での新しい生活

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               ユージーン市
  
ジムの希望していたユージーン聖書大学に編入するために、私たちはまた引越しをした。
アメリカに来てから2年で2回目の引越しだった。

また、トラックを借りて、すべてのものを積み込み、長距離のドライブをしてユージーンに来た。

アパートは1ベッドルームのアパート。
スポケーンの1ルームより、随分広くなり、寝室ができたことで住みやすくなった。

ジムは、学校の手続きを済ませると、すぐにアルバイトを探した。
見つけてきたのは、清掃業。

事務所のビルや スーパーマーケットを早朝や夜間に清掃する、掃除のお兄さん。
このアルバイトのお陰で、ジムは掃除がとても上手になった。

私はウエイトレス。
スポケーンにいたとき、ダニエル夫婦の行き付けのレストランでウエイトレスの口を紹介してもらう事になっていたが、引っ越すことになり、一度やってみたいと思っていた。

アジア人なので、中華料理店がよいだろうと目星をつけ、きれいな店に飛び込みで面接を申し込んだ。
たまたま、面接することになっていたアジア系の女性とかち合って、面接を受け、私が受かった。

ウエイトレスは、給料は最低賃金だが、うまくいくとチップの現金収入はいい。

オーナーは中国本土出身の夫レオと、台湾出身の妻アイリーン。
レオはキッチン担当で他に3人のクックを引き抜いてきて、切り盛りしていた。
アイリーンはフロアー担当。数人のウエイター、ウエイトレスを雇っていた。

料理の名前と、中身が何でできているのか、メニューを丸暗記。
アメリカは人種も様々で、特にユダヤ人やシーク教徒の信者は、豚肉を食べないし、肉でだしをとったスープも食べられない。
また、信仰のグループによっては、卵はよいとか、悪いとか、色々とあって、ややこしい。

また、料理を盛り付けた重い大皿を片手に3枚ほどもってフロアーを歩き回る。

私は金、土の夜には、100ドルほどのチップを稼ぐようになった。

アメリカに来てはじめて新しいテレビやビデオデッキも買うことができたので、
私はユージーン時代を「物質の時代」と呼んでいる。