Noと言える日本人
ユージーンの教会の前で
中華料理店でウエイトレスをするようになって、私は色々なことを経験した。
店のオーナーからは、「リエは同じアジア人なのだから、私たちと同じ仲間よね」と言われるかと思えば、
「昔、日本人が、私たち中国人に何をしたか知らないの?」と突き放されたり。
自分が日本人であるということで、アメリカ人から否定的な扱いを受けたことはなかったが、
中国人はそうでなかった。面と向かって、憎しみをあらわにする人もいる。
これまで、教科書問題などから、多少なりとも中国と日本の問題について知ってはいたが、
個人的にむき出しにされて、その深刻さを肌で感じた。
さて、中国人のウエイトレスたちは、私がおとなしいのをいいことに、
しばしば私の休みの日に仕事を変わってくれるようにと頼んできた。
(現在の私を知っている人には、以前の私がおとなしかったとは信じれないかもしれないが・・・。
本当は、今も昔も変わらず、リエ・クローチはおとなしい女性なのである。)
収入も増えるし、特に大事な用事もあるわけではないのだからと思い、よく変わってあげていた。
ところが、肉体的にも精神的にもきつく、はっきり断ることができない自分が嫌になっていた。
時には、休みの日の朝に急に電話がなって、出勤してほしいと依頼されることもあって、
私はどんどん精神的に追い込まれていった。
それで、休みの日になると、寝坊をしてゆっくりしたいところだが、わざわざ早起きをして、外出をしたりした。
外出していれば、電話に出なくてもすむ。(居留守ということができない私)
でも外出には、本当の解決はないことは分かっていた。
ジムが、聖書大学の心理学の教授でカウンセラーの先生がいるので、カウンセリングを受けてみてはと提案してくれた。
教授は、私の話を時間をかけてじっくりと聞いてくださり、「休みの日はどんなことをしたいの?」と聞いた。
「家でテレビを見たり、ウインドー・ショッピングに行ったり、散歩をしたり、生地屋に行ったり、
特にこれといって大事なことはしていません。
仕事を変わってほしいという相手には、大事な用事があるようなので、断るのは悪いかと思って・・。」
すると、「あなたの休日をどうすごすかは、あなたの自由であって、それが重要であるかどうかは、
誰にも判断できないのですよ。
あなたの体と心が必要としている休息のとり方は、あなた自身が一番よく知っているのです。
あなたにとって、やりたいことが大事なこと。他の人と比べてはいけません。
次からは、決められたスケジュールに沿って一生懸命働き、変わってほしいと頼まれても
引き受けては駄目です。「No」きちんと断りなさい。」と言われた。
私は、私のことを理解してくれる人ができて、論理立てて分析してもらい、すっきりしたのを覚えている。
そうだ。自分で自分を守らなければならないんだ!
「Noと言える日本人」に私はその時からなった。
この経験を通して、少しずつ、中国人を相手に自分の意見を主張できるようになった。
もともと声の大きな中国人たちと、言い合うのは大変なことだった。
そんなことで私は徐々にしっかりした部分を身に着けていったように思う。
色々な意味において、中国人には感謝である。
中華料理店でウエイトレスをするようになって、私は色々なことを経験した。
店のオーナーからは、「リエは同じアジア人なのだから、私たちと同じ仲間よね」と言われるかと思えば、
「昔、日本人が、私たち中国人に何をしたか知らないの?」と突き放されたり。
自分が日本人であるということで、アメリカ人から否定的な扱いを受けたことはなかったが、
中国人はそうでなかった。面と向かって、憎しみをあらわにする人もいる。
これまで、教科書問題などから、多少なりとも中国と日本の問題について知ってはいたが、
個人的にむき出しにされて、その深刻さを肌で感じた。
さて、中国人のウエイトレスたちは、私がおとなしいのをいいことに、
しばしば私の休みの日に仕事を変わってくれるようにと頼んできた。
(現在の私を知っている人には、以前の私がおとなしかったとは信じれないかもしれないが・・・。
本当は、今も昔も変わらず、リエ・クローチはおとなしい女性なのである。)
収入も増えるし、特に大事な用事もあるわけではないのだからと思い、よく変わってあげていた。
ところが、肉体的にも精神的にもきつく、はっきり断ることができない自分が嫌になっていた。
時には、休みの日の朝に急に電話がなって、出勤してほしいと依頼されることもあって、
私はどんどん精神的に追い込まれていった。
それで、休みの日になると、寝坊をしてゆっくりしたいところだが、わざわざ早起きをして、外出をしたりした。
外出していれば、電話に出なくてもすむ。(居留守ということができない私)
でも外出には、本当の解決はないことは分かっていた。
ジムが、聖書大学の心理学の教授でカウンセラーの先生がいるので、カウンセリングを受けてみてはと提案してくれた。
教授は、私の話を時間をかけてじっくりと聞いてくださり、「休みの日はどんなことをしたいの?」と聞いた。
「家でテレビを見たり、ウインドー・ショッピングに行ったり、散歩をしたり、生地屋に行ったり、
特にこれといって大事なことはしていません。
仕事を変わってほしいという相手には、大事な用事があるようなので、断るのは悪いかと思って・・。」
すると、「あなたの休日をどうすごすかは、あなたの自由であって、それが重要であるかどうかは、
誰にも判断できないのですよ。
あなたの体と心が必要としている休息のとり方は、あなた自身が一番よく知っているのです。
あなたにとって、やりたいことが大事なこと。他の人と比べてはいけません。
次からは、決められたスケジュールに沿って一生懸命働き、変わってほしいと頼まれても
引き受けては駄目です。「No」きちんと断りなさい。」と言われた。
私は、私のことを理解してくれる人ができて、論理立てて分析してもらい、すっきりしたのを覚えている。
そうだ。自分で自分を守らなければならないんだ!
「Noと言える日本人」に私はその時からなった。
この経験を通して、少しずつ、中国人を相手に自分の意見を主張できるようになった。
もともと声の大きな中国人たちと、言い合うのは大変なことだった。
そんなことで私は徐々にしっかりした部分を身に着けていったように思う。
色々な意味において、中国人には感謝である。