チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

ジムの大学卒業、そして大学院へ

私は、ドッグ・グルーミング学校を卒業した後、その学校の経営者(女性2人)が別に経営している
犬の美容室で仕事をする気はないかと誘われ、一応プロとして働き始めた。

ジムは、1988年の6月、メジャー(主専攻)世界宣教学、マイナー(副専攻)心理学で
無事に大学を卒業することができた。

結婚してから3年半が経っていた。ジムは31歳。私は27歳。

次の進学先としてジムは、同じオレゴン州のポートランドにある神学校で、キリスト教カウンセリングを専攻することに決めていた。まだまだ落ち着けそうに無い。

夏になって、また引越しをした。
今度は、すべてをフォルクスワーゲンに詰め込み、往復6時間の道のりを2往復。

この時点で、私はいつ引越しを言い渡されても、すぐに準備ができるほど、引越し上手になっていた。
そんなことが上手になっても、何の得があろうかと言う感じだが、実に私たち夫婦はこんな引越しを繰り返して、
22年間の生活で17-18回も引越しをすることになってしまう・・・。

ともかく、ポートランドでは、まず銀行で学生ローンを組んだ。
このローンは、卒業後もずっと月々2万円程度の返済を続け、かなりきつかった。

アパートは学校から徒歩で2分のところに、一つ部屋数が増えて2LDKのを借りることができた。
はじめてジムの勉強部屋ができ、彼も勉強の意欲に燃えていた。

私は、あらたにポートランドで ドッグ・グルーミングの仕事を探したが、なかなか仕事が見つからず、
また、ポートランド一帯が雨期であったこともあり、暗い気持ちで 欝になりそうだったのを覚えている。

私は今も、ポートランド近郊に住んでいるが、このようにジムの大学院がきっかけとなって、
この地域に定着するようになっていったのだ。


さて、ジムは大学院の掲示板からUPS(運送業)の早朝アルバイトの仕事を見つけてきた。

ジムは朝3時に起き、3時半には出勤して、早朝4時から8時まで荷物の上げ下ろしの肉体労働。
汗だく、どろどろになっても、朝9時から大学院での授業。学校が終わったら自宅で勉強。

すごく過酷な生活だった。彼はこの生活を結局4年間続けたのだった。本当にがんばったね。

人間、目的があれば、どんなつらいことにも挑戦できることを ジムは身をもって見せてくれた。