チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

両親の希望

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両親は、アメリカに遊びに来て以来、日本での生活が落ち着かなくなった。

帰国と同時に、様々な日本の生活事情に失望。
二人とも、「あーあ、アメリカはよかったわー。」「ゴルフも安かったしなー・・・」と夢見心地。

そんな話を聞いて、ジムは「それなら、二人でアメリカに移住すれば? 僕は喜んで手伝うよ!」と言った。
自分も外国生活を経験していたからだろう、外国に住みたい人の気持ちがよく分かる様子。

どうすれば両親がグリーンカード(永住権)を取得できるのか、色々と調べてみると、
『私がアメリカ国籍を取得し、その親として申請する』のが、最短の方法であることがわかった。

当時、永住権保持者で、アメリカ国籍の者と婚姻関係があり3年以上アメリカに住んでいるなら、
市民権(国籍)取得の申請をする権利が与えられていた。

幸い、私はその条件を満たしている。

さっそく、国籍取得の手続きをすることになった。


両親は、何とか道が開けそうだと分かって、さっそく不動産に連絡をとり、家を売却する相談に・・・。

当時、父はゴルフ場を定年退職していた。
彼は、戦後社交ダンスに夢中になり、日本選手権・タンゴの部門で4位に入賞。
そのためダンス講師の免許を持っていた。
その後しばらくダンスの講師をしていたが、やめて、母と結婚し 堅気なサラリーマンになっていたのだった。
サラリーマン時代も 市町村の青年会やダンスクラブなどで時々教えていたが、
退職後は、ちょっと本格的に場所を借りて 教室を開いていた。
ちなみに、彼のダンスパートナーだった女性は、大阪で有名なダンス・スクールのオーナーである。

母は、パートをしながら、40代ではじめた、油絵と水彩画を追求。
オレゴンには、絵になる風景がたくさんあるので、ゆっくり芸術活動ができると喜んだ。


私には妹がいる。彼女はすでに実家から出て、仕事を持ち自立していたが、
両親にとって、移住となると、妹のことが一番気がかりのようだった。
けれども、ちょうど具合のよい事に、妹がかねてから想いをよせていた男性との間に結婚話が、出たのだった。

これで、一応、気持ちの整理もついたのだろう、両親の決心は固まった。

さっそく、家を売りに出したところ、かねてからその地域に家を買いたいと考えていた夫婦がすぐに見にこられ、1日で売却が決まった。

まさか、そんなに速く売れるとは思わなかったため、両親の都合で半年待っていただく事になり、
その間に両親は、荷物の整理などをすることになった。

「海外移住生活」という言葉は、まだ耳にしない時代だったが、両親は英語のできないことも全く気にせず、
新しいアメリカでの生活を楽しみに、本格的な準備にとりかかった。