チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

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両親の移住

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               ポートランドのローズ・ガーデン


私たちは 両親の移住に向けて、4人で住めるようにと大き目の家を借りた。(家賃や高熱費は折半)

移民専門の法律家に相談したところ、両親の永住権はこちらに来てから行なえるので、旅行ビザのままで来るようにといわれた。

両親は、渡航の日程も決まり、大詰めに入った。

父は、社交ダンスの生徒さんや、老人クラブの友達から、お別れ会やさよならパーティーなるものに誘われ続け、毎日出かけて、ほとんど引越し荷物のまとめを手伝わなかったと、母がこぼしていた。

いよいろ渡航の日になった。

私が子供の頃から飼っていたヨークシャーのジュリちゃん(メス12才)が、荷物カーゴに入れられてくるので、
気になっていたが、到着ロビーで見ていると、荷物と一緒に降ろされて、係りのおじさんたちがカゴの中で、尻尾を振っているジュリちゃんを見て、「かわいいねー」といったソブリをしているのが見えたので安心した。

サンフランシスコの乗り換えの際には、ジュリちゃんはやっとのことで両親の元に戻れると思っていたらしく、また国内線に預けられて、気が狂ったようにギャンギャン鳴いていたという・・・。

(余談だが、ジュリちゃんをはじめ、うちのココ、そしてその後の今飼っているココも、
 みんな国際線に乗せられて、太平洋を渡っている。飛行機の旅は犬には過酷。
 私たち家族は自分たちの都合で、どの犬にも過酷な飛行機の旅を強いてきたといえる。)

両親は無事にやって来た。

新しく借りた家には、まだ家具がほとんどそろっておらず、空っぽに近い状態。

次の日から、買い物の毎日が始まった。

父の車、テレビ、ステレオ、両親の寝室の家具、キッチンのテーブルと椅子などなど・・・・。

父は買い物が大好き。
母は節約家(少なくとも当時は)。

一週間ほど、毎日車で買い物に出かけ、とうとう母がキレた。
「なんで、そんなに急いで毎日買い物しなあかんのん? いい加減にして!」

そのひと言で、父も我に返り、やっと落ち着いた生活に入った。

やりたかったゴルフも近所にいくつかのゴルフ場を見つけてはじめた。

母は、日本人教会のメンバーになって(もともとクリスチャン)活動し始めた。

両親の移住は、まずまずの滑り出した。