カルチャーショック
パンを食べにくるリス
両親の移住生活は、まずまずの滑り出しだったと言える。
ジムは 性格的に明るく、人を大事にする親切な人だったので、私の両親ともうまくいった。
両親も、自分たちが移住することを進んで手伝ってくれた娘婿・ジムに感謝していた。
外国人の娘婿とうまくいかない人のことも聞いているが、うちはその点では本当に恵まれていたと思う。
ジムは、どこに行くにも両親を誘い、何をするにも両親と一緒にできるように考えてくれた。
彼は「自分は7人兄弟だから、自分の両親は大丈夫。
リエの両親は、アメリカにはリエしかいないのだから、自分の親だと思っている。」と言ってくれていた。
アメリカでの生活も2,3ヶ月たった頃だっただろうか、父の様子が少し暗かった。
なんとなくイライラしている様子。
どうやら、父はカルチャーショックと呼ばれるものにかかっていたようだ。
母は、私をはじめ教会でできた友達といろいろと話もでき、精神的に発散もできたと思うが、
父は、男性と言うこともあってか、何でも口にするという訳ではない。
思えば、父はついこの前まで、会社の中で自分の居場所があり、仕事を任され責任を持って働いていた。
また退職後は、大好きな社交ダンスを教え、「先生」「先生」と 生徒さんに慕われて活躍していた。
ところが、移住後は、英語のできない 「ただのおじさん」になってしまったのだ。
色々な意味で制限があるし、欲求不満が少しずつたまっていったものと思われる。
人は外国に住むとみんなカルチャーショックにかかると言われる。
その社会にある程度慣れてくると、それまでの新生活への緊張や驚きも静まり、
少しずつ、自分の失ったもの、不自由になったことを 感じ始めたときに かかるのだろう。
父のカルチャーショックは、しばらく続いたと思うが、それほど長引かずにおさまっていった。
カルチャーショックを乗り越えれば、あとは、着実に生活を確立していくのみだ。
私も、ジムと言う新しい人との生活、アメリカへの移住と 経験して、カルチャーショックを経験したと思うが、必死だったために、それを自覚する余裕さえなかった。
現在は、未亡人になったカルチャーショックにかかっているのだろうと思う・・・・。
両親の移住生活は、まずまずの滑り出しだったと言える。
ジムは 性格的に明るく、人を大事にする親切な人だったので、私の両親ともうまくいった。
両親も、自分たちが移住することを進んで手伝ってくれた娘婿・ジムに感謝していた。
外国人の娘婿とうまくいかない人のことも聞いているが、うちはその点では本当に恵まれていたと思う。
ジムは、どこに行くにも両親を誘い、何をするにも両親と一緒にできるように考えてくれた。
彼は「自分は7人兄弟だから、自分の両親は大丈夫。
リエの両親は、アメリカにはリエしかいないのだから、自分の親だと思っている。」と言ってくれていた。
アメリカでの生活も2,3ヶ月たった頃だっただろうか、父の様子が少し暗かった。
なんとなくイライラしている様子。
どうやら、父はカルチャーショックと呼ばれるものにかかっていたようだ。
母は、私をはじめ教会でできた友達といろいろと話もでき、精神的に発散もできたと思うが、
父は、男性と言うこともあってか、何でも口にするという訳ではない。
思えば、父はついこの前まで、会社の中で自分の居場所があり、仕事を任され責任を持って働いていた。
また退職後は、大好きな社交ダンスを教え、「先生」「先生」と 生徒さんに慕われて活躍していた。
ところが、移住後は、英語のできない 「ただのおじさん」になってしまったのだ。
色々な意味で制限があるし、欲求不満が少しずつたまっていったものと思われる。
人は外国に住むとみんなカルチャーショックにかかると言われる。
その社会にある程度慣れてくると、それまでの新生活への緊張や驚きも静まり、
少しずつ、自分の失ったもの、不自由になったことを 感じ始めたときに かかるのだろう。
父のカルチャーショックは、しばらく続いたと思うが、それほど長引かずにおさまっていった。
カルチャーショックを乗り越えれば、あとは、着実に生活を確立していくのみだ。
私も、ジムと言う新しい人との生活、アメリカへの移住と 経験して、カルチャーショックを経験したと思うが、必死だったために、それを自覚する余裕さえなかった。
現在は、未亡人になったカルチャーショックにかかっているのだろうと思う・・・・。