ジムの友達 ジョセフ・ロノ
ジョセフは、神学大学院でできたジムの友達。ケニア出身の苦学生だった。
奥さんと子供5人を国に残し、留学してきていた。
彼を時々食事に呼んで、すごく興味深いケニアの話を色々と聞かせてもらった。
彼は、4歳の時に父親が死亡。母はそれを苦に自殺。
当時のケニアでは孤児は、親戚に引き取られるが、その家の使用人になるのが常らしい。
彼が12歳のとき、一緒に遊んでいた近所の小さい子が、「明日から学校に行くから遊べない」と言った。
ジョセフは12歳まで「学校」が何か知らなかったと言う。
その近所の子は大きな家に住み、父親が成功者。
ジョセフは「あの成功している父親が、子供を学校に行かせるということは、
学校と言うところは 成功につながるところに違いない。」と考え、彼も学校へついて行った。
ところが、当時ケニアに義務教育が無かったのか、『親の許可なしには学校へは来られない』と断られた。
ジョセフは、学費も払えないが、どうしても学校に通いたいと意志を告げて、毎日学校へ行き、門の前で
熱心に教師たちにアピール。
毎日、「学校に入れてください」と粘り続け、そんなことを数ヶ月続ける内に、学校側も根負けして、彼を入れてくれたらしい。
12歳でかなり背丈も大きい彼だったが、1年生(7歳児)クラスに無事入った。
クラスメートはもとより、ほとんどの先生より、自分の方が背が高かったという。
ジョセフは、遅ればせながら 12歳から小中高と勉強し、アルバイトをしながら大学にも行った。
そして、牧師となったが、更なる勉強をということで、神学大学院に来ていたのだった。
彼とはいろいろなことを一緒にしたが、一番思い出すのは、野球観戦だった。
ポートランドのマイナーリーグのチケットが手に入り、ジムと私はジョセフを連れて行った。
「野球の券をもらったんだけど、一緒に行く?」と聞くと、
「それって、棒で球を打つスポーツのこと?」と野球自体を知らないらしい。
連れて行くと、彼は野球そのものも勿論楽しんでいたが、観客の様子がそれ以上にすごく興味深かった様子で、
観客ばかり見てニコニコ、ケラケラ 実に楽しそうに笑っている。
また、盗塁をけん制するピッチャーの様子がこっけいだと言って、楽しそうだった。
神学大学院の皆から慕われていた彼は、卒業のとき、多くの募金が集められ、ケニアから奥さんが招待された。
顔が黒々光って、健康そうなとても魅力的な女性だったのを覚えている。
ジョセフは、「僕のようにアメリカの大学院で勉強できるような恵まれたものはいない。
ナイロビの空港に着いたら 村の人たちが国旗を振って迎えてくれるほど、名誉なことなんだ。」と
言っていた。
あれから17,8年になるが、きっとジョセフはケニアの教会で素晴らしいリーダーとなっていることだろう。
奥さんと子供5人を国に残し、留学してきていた。
彼を時々食事に呼んで、すごく興味深いケニアの話を色々と聞かせてもらった。
彼は、4歳の時に父親が死亡。母はそれを苦に自殺。
当時のケニアでは孤児は、親戚に引き取られるが、その家の使用人になるのが常らしい。
彼が12歳のとき、一緒に遊んでいた近所の小さい子が、「明日から学校に行くから遊べない」と言った。
ジョセフは12歳まで「学校」が何か知らなかったと言う。
その近所の子は大きな家に住み、父親が成功者。
ジョセフは「あの成功している父親が、子供を学校に行かせるということは、
学校と言うところは 成功につながるところに違いない。」と考え、彼も学校へついて行った。
ところが、当時ケニアに義務教育が無かったのか、『親の許可なしには学校へは来られない』と断られた。
ジョセフは、学費も払えないが、どうしても学校に通いたいと意志を告げて、毎日学校へ行き、門の前で
熱心に教師たちにアピール。
毎日、「学校に入れてください」と粘り続け、そんなことを数ヶ月続ける内に、学校側も根負けして、彼を入れてくれたらしい。
12歳でかなり背丈も大きい彼だったが、1年生(7歳児)クラスに無事入った。
クラスメートはもとより、ほとんどの先生より、自分の方が背が高かったという。
ジョセフは、遅ればせながら 12歳から小中高と勉強し、アルバイトをしながら大学にも行った。
そして、牧師となったが、更なる勉強をということで、神学大学院に来ていたのだった。
彼とはいろいろなことを一緒にしたが、一番思い出すのは、野球観戦だった。
ポートランドのマイナーリーグのチケットが手に入り、ジムと私はジョセフを連れて行った。
「野球の券をもらったんだけど、一緒に行く?」と聞くと、
「それって、棒で球を打つスポーツのこと?」と野球自体を知らないらしい。
連れて行くと、彼は野球そのものも勿論楽しんでいたが、観客の様子がそれ以上にすごく興味深かった様子で、
観客ばかり見てニコニコ、ケラケラ 実に楽しそうに笑っている。
また、盗塁をけん制するピッチャーの様子がこっけいだと言って、楽しそうだった。
神学大学院の皆から慕われていた彼は、卒業のとき、多くの募金が集められ、ケニアから奥さんが招待された。
顔が黒々光って、健康そうなとても魅力的な女性だったのを覚えている。
ジョセフは、「僕のようにアメリカの大学院で勉強できるような恵まれたものはいない。
ナイロビの空港に着いたら 村の人たちが国旗を振って迎えてくれるほど、名誉なことなんだ。」と
言っていた。
あれから17,8年になるが、きっとジョセフはケニアの教会で素晴らしいリーダーとなっていることだろう。