父の思い出
2月7日は、わたしの父・礼三(れいぞう)さんの誕生日
(アメリカでは Ray(レイ)のニックネームで通っていたね)
礼三さんは、14年前に 72歳で天国に行った
(タキシードで きまってます!) 礼三さんは
大阪生まれで、根っからの都会人
大正生まれにしては、私なんかより
ずっとモダンな人だった
まず、趣味が多彩 (いわゆる遊び人)
一番の趣味はなんと言っても ゴルフ
ゴルフをこよなく愛するがために
退職後、私の住むオレゴンは
「ゴルフが安い」というので、
母とふたり 海外移住。 (1987年)
(当時は めずらしかったな~)
週に2~3回は ゴルフをしていた
母と私にもゴルフを教えてくれて、
よく3人で 近場のゴルフ場にでかけたものだ
そして、次は社交ダンス (ダンスをしている時の カッコいい写真が見つからなくて残念!)
戦後、日本のダンス選手権で好成績を修めたとかで、プロとしてパートナーと教室を持っていたという
アメリカに移住後も、ボランティアで 日系人の方々に 楽しんでダンスを教えていた
彼の3番目のパッションは、ビリヤード
4つ玉で、若いときからならしていたらしく、かなりの腕前
私が子供のころ、ローカルのビリヤード場では、父はトーナメント参加するのを 拒否されていた
優勝するのが当たり前と見られていたからとか・・・・ ほんまに~~?
小学生の頃、
(30代のころの父と 3歳の私)
「ビリヤード場には 寄らないで帰る」と
約束したはずの父の帰りが遅い時は、
ときどき母が、子どもの私に
電話をかけさせたものだった
「あの・・・・ ○○の子どもですけど、
父は来てませんか?」
ビリヤード店のオーナー、
受話器をふさいで会話をしている様子だが、
こっちには丸聞こえで
「○○さ~ん、お嬢さんが
お父さん来てませんかって、
電話かかってますけどー!!」
背景で 父が上機嫌で
「あ~、『今日は来てないですよ』って
( ↑ 私も幼少時代はかわいくない?!)
言っといて~」 などと言っているのが聞こえる
子ども心に そうとう仕方のない ビリヤード熱やな、と思ったものだった
なつかしい思い出だ・・・
色黒で人相が悪いのに反して、性格はとても明るくて温厚
私と妹をしかることも 年に1度あるかないかぐらいで、理解のある父だった
子供のころ、出かけ先で、父が面識のない男性たちから「先生」などと 声をかけられているのを見て
不思議に思い たずねてみると、
「多分、ヤクザと勘違いされているからだヨ」
と言っていた
そんなことが時々あったね
中年以降の人にはわかると思うが、
ちょうどディック・ミネと黒澤監督を足して
半分に割った感じの風貌だった
(↑ 両親) Sueちゃんも若かったね~
私が中学生になって教会に行き始めると、
「教会には 行ってもいいけど、信者になるのだけは やめときなさい」 と 言っていた。
私が父の意思を無視して 洗礼を受けると、
「クリスチャンになったのはいいけど、普通に就職しなさい」と言っていた。
私が それを無視する形で 神学校に行って聖書の勉強をし始めると、
「神学校を卒業したら、牧師とは結婚しないように」と言っていた。
私は結局、それを無視した形で 宣教師として日本に来ていたジムと結婚したね~。
父の意志には ことごとく反して、好きなことをし続けた私。
でも私にとっての父は、いつも話せる存在で、頭ごなしに私の未熟な考えを否定することなど決してなかった。
そんな父も 退職後 アメリカに移住してから
素直に神様を信じ、
熱心なクリスチャンになって
幸せそうに 教会で奉仕をしていた。
数十年間 どんなに家族が禁煙をすすめても
ヘビースモーカーだったのに、
ある日突然、すんなり止めることができて
健康に気をつけて過ごしていた。
神様に感謝!
(自分には禁煙できないと思っている方!
あの父が禁煙できたのですから、
あなたにもきっとできます!
私が太鼓判おします!!)
↑ カナダの氷河で (60代半ば) ↑なんのこっちゃ~?
礼三さんは、14年前の自分の誕生日の日の早朝 倒れて、3週間後に突然天国に旅立った。
入院中の最後の言葉は、 「もうちょっと、アプローチがんばらなあかんな~」だった
ICUのベッドで ゴルフ中継を見ながらの発言。
最後まで、マイペースを貫いた礼三さんらしい発言。 (私の名言集に書いておこう!)
天国にも ゴルフなんてあるのかな?
後から天国に行ったジムとは 英語と日本語の言葉の壁もすっかりなくなって、仲良くしていることだろう。
私たちが天国に行くまでの間、母と妹家族、そして私たち夫婦を見守っていてね~
日本の妹家族は、父の誕生日には、父の好物だった「タマネギの天ぷら」を食べるのが恒例らしい。
今年も「タマネギの天ぷら」食べるのかな~?
子供のころから、「お父さんによく似ているね」といわれ続けて50年。
最近、年をとるごとに 自分の顔が ますます父の顔に似てきているのがわかって、コワイ・・・