シンガポールの人々 その3・ ザックさん
昨日、「アジア文明博物館」の見学を終えて、近場のフードコートを教えてもらい お昼を食べに行こうとしたら、
教えてもらった建物が見つからない・・・・
夫も私に言っていたことだが、シンガポールの人は 道を聞くと その返事は きわめてテキトー!
たいていの人が 「あ~ それはまっすぐ行って右だよ」 とか 「左にまがったところ」 とか・・・・・
教えてくれるけど、適当すぎて ほんろうされることが多い。 結局何度も聞きながらということがほとんど。
昨日も、結局は教えてもらったとおりに行っても 目当てのビルが見つからなかった。
30代前半ぐらいで ピンクのシャツをピシッときめた お兄ちゃんが 横道からこっちに来るのが見える。
だれも周りにいないし、この人に道を聞くしかあるまい。
私 「すみません。フナン・アイテック・ビルというのを探しているんですけど、教えてもらえませんか?」
男性 「アイ・テック・ビルで 何の用?」
私 「フード・コートがあると聞いたので、お昼にしようかと思って」
男性 「実はぼくも そこでランチを食べようと思って向かっているところなんだ。 一緒に行きましょう。」
「僕の名前は ザック。 あなたは?」
さっと右手を出して 握手。 なかなかの好青年だ。
歩きながら 私がなんでシンガポールに来たのかなど いろいろ聞いて 自分のことも話してくれた。
なんでも 中国人の両親は 生活の安定と安全を求めて 世界を視野に考え ベルギーに住むことに。
そのとき、ザックが生まれたと言う。
ところが、ベルギーよりシンガポールの方が生活に適しているということになり、
子供の頃 家族でここに移住してきたらしい。
仕事は ストック・ブローカー (株の取引人)
「うわ~、あなたって お金持ちなの?」 と聞くと、
「人の株を売り買いしているから、自分は金持ちではない。
今は世界の金融危機だから、この仕事は きびいしです・・・・」 と話してくれた。
私の仕事のことも聞いてきたので、「学校を卒業したばかりで 9月からチャプレンの訓練をうける」と言うと、
「病院チャプレンと言う職業は 今のシンガポールにはないけれど、
シンガポールは確実にアメリカのあとを追っている国だから、
あと10年もすれば、ぜったいシンガポールでも必要とされてくる職業なのでしょう。頑張ってくださいね!」
そうこう言っているうちに ビルに着いた。
彼はちゃんとフードコートのある階まで私を案内してくれて、
自分は 今日食べたいものが決まっているので、別の階のレストランに行くからと
「じゃ、これで。お会いできてよかったです。お元気でね!」 と また さっと握手をして別れた。
うーん、なかなかの好青年。
蒸し暑さの厳しいシンガポールでの 爽やかなチャイニーズ系シンガポリアンとの出合いは 心に残った。
チャイニーズ商工会のビル
近代的な建物だけど、門構えと屋根部分だけが中国風になっていて 不思議な感じ
(アルメニアン教会のすぐ近くで)