ハリラヤ・ハジ (犠牲祭)
イスラム教のお祭り ハリラヤ・ハジの日が来た
私の微々たる知識によると、この日は犠牲祭とも呼ばれ、大々的にイスラム教徒たちの間で祝われている
由来は、アブラハムがその長男イシマエルを犠牲として奉げよとの神のお告げに従って奉げようとした
それを見て神は彼の信仰心を認め、代わりに羊を犠牲として奉げたというストーリー
キリスト教信者にとっては とてもなじみの深いモリヤ山での アブラハムとイサクの出来事と酷似した話だ!
ともかく、私たちがバンドゥンについてから、あちこちでヤギが道路わきにつながれ売られてるのが見られた
住宅街を徒歩で通り抜けると、すでに買い取られたヤギがバーバーとないて 玄関口につながれていたり、
広場のようなスペースに 牛がくくりつけられているのが見える
ヤギたちは、ハリラヤ・ハジのご馳走として、つぶされ、振舞われる
まず、貧しい人たちに 振舞われ、それから家族でご馳走を囲むらしい
日本のお盆や正月、アメリカの感謝祭やクリスマスのように 遠くから家族が戻ってくる団欒のときだ
さて、ハリラヤ・ハジの前日、動物園にいるとハリラヤ・ハジの前夜祭的なものが始まった・・・・
というのも、それまでにも毎日 日に5回はあちこちのモスクから 祈りの放送が聞こえてきていたが、
ものの15分程度のものだった
ところが、ハリラヤ・ハジのイブの夕方は この祈りが大きく長く放送され、
はじめてこれを聞く私たちには とても興味深い体験となった
そのときの動画を アップ
私の微々たる知識によると、この日は犠牲祭とも呼ばれ、大々的にイスラム教徒たちの間で祝われている
由来は、アブラハムがその長男イシマエルを犠牲として奉げよとの神のお告げに従って奉げようとした
それを見て神は彼の信仰心を認め、代わりに羊を犠牲として奉げたというストーリー
キリスト教信者にとっては とてもなじみの深いモリヤ山での アブラハムとイサクの出来事と酷似した話だ!
ともかく、私たちがバンドゥンについてから、あちこちでヤギが道路わきにつながれ売られてるのが見られた
住宅街を徒歩で通り抜けると、すでに買い取られたヤギがバーバーとないて 玄関口につながれていたり、
広場のようなスペースに 牛がくくりつけられているのが見える
ヤギたちは、ハリラヤ・ハジのご馳走として、つぶされ、振舞われる
まず、貧しい人たちに 振舞われ、それから家族でご馳走を囲むらしい
日本のお盆や正月、アメリカの感謝祭やクリスマスのように 遠くから家族が戻ってくる団欒のときだ
さて、ハリラヤ・ハジの前日、動物園にいるとハリラヤ・ハジの前夜祭的なものが始まった・・・・
というのも、それまでにも毎日 日に5回はあちこちのモスクから 祈りの放送が聞こえてきていたが、
ものの15分程度のものだった
ところが、ハリラヤ・ハジのイブの夕方は この祈りが大きく長く放送され、
はじめてこれを聞く私たちには とても興味深い体験となった
そのときの動画を アップ
祈りの放送は、ホテルについても 夜なか中流れていて、交代で祈っておられるのだろうか
時々、アッラー や イブラハムという単語が聞えるようにも思える
祈りを聞きながら寝て、5時半ごろ (いつもはそんなに早起きではないが、アメリカからの時差ボケ)
気がつくと、祈りというよりも 説教をされているような感じに聞えるのがわかる
カーテンからのぞいてみると、近くの広場に数十人の白い衣をまとった男性たちが きちんと座り
イマーム(指導者)だろうか、彼らを前に 長い話をされていた
たぶんみなさんで集まって お祈りをされていたのだろう
しばらくして、声が聞こえなくなったと思ったら、解散されているようだった
さすがに ハリラヤ・ハジの当日は閉店している個人商店も多く、交通量も激減していた
インドネシアの人たちがどんなふうにお祭りの日を過ごしておられるのかは 残念ながら旅行者にはわからない
それでインドネシアに在住している日本人の方々のブログを読ませてもらっている
次の日、出かけ先の道路わきで ヤギの生皮が何枚も重ねて置いてあるのを見かけた
新聞によれば、今年はシンガポールでは28000頭のヤギが カナダから輸入されたとあった。
ニュースでは、ヤギや牛肉を切り分けてもらっている市民の姿や、
牛から蹴られて怪我をして病院に運ばれている男性の話などが流れていた
イスラム教にあまり縁のない私たち夫婦にとって、とても興味深い経験だった