チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

チャンギ・チャペル (シンガポール)


バンドゥンから 10月16日のお昼ごろ シンガポールに無事に戻った

2日後には アメリカに帰国しなければならないため、午後も時間を惜しんで出かける

2年前から、シンガポールを訪れるたびに 「チャンギ・チャペル&博物館」 のサインを見て気になっていた

サインは、英語だけでなく、日本語でも表示されているので、より印象的

夫が、「どこか行きたいところは ない?」 と聞くので  答えは簡単 「チャンギ・チャペル」

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どうやら、夫のアパートから徒歩で行ける距離だ

10分ほど暑い中を歩いて 『チャンギ・チャペル』についた

おそらく シンガポールのクリスチャンの歴史などが 展示されているのだろうと興味を持った


ところが・・・・・・・・

入館してみると、そこは 第二次世界大戦時の 日本軍における侵略の歴史の展示だったのだ

シンガポールのチャンギには 外国軍人の捕虜収容所があったらしく、

当時の日本軍による 残酷な捕虜の扱いや シンガポール人虐殺の記録などが 展示されていた

日本人としては 決して忘れてはいけない戦争の歴史

しっかり学ばせてもらわなければと すべての展示をじっくり見学して資料を読んだ

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そこには 食料もろくに与えられないままガリガリにやせ細った 白人兵らが労働させられている写真や

日本軍から略奪や 誘拐、拷問を受けたシンガポール人の生存者の証言などが 展示されていた


心にのこったおばあさんの証言・・・

この女性は、16歳になる息子が ある夜から突然行方不明になり、日本軍に連れて行かれたことを想定して、

何とか手がかりを探し出そうと 日本軍の設営するチャンギの病院で毎日ボランティア活動をしていた

入院兵たちの世話を毎日する中、日本軍から信用を得ていった彼女は

病棟の奥や、事務、本部などへの 出入りもできるようになっていった

彼女の慈善精神は 多くの兵たちの心を支え、喜ばれたのだった

けれども、彼女は最後まで 自分の息子がどうなったのか、わからなかった


このような生の声が たくさん展示されていた

日本軍の公式発表では 3年半の侵略時代に、シンガポール人を男性を中心として 6000人殺害したとしている

しかし、シンガポールの調査では 25000人以上の人が この間に行方不明になっているという

多くの家族が引き裂かれ、いのちを奪われ、悲しい思いを強いられたのだ


もと看板画家だったというアメリカ兵が キリストの宗教画を壁に描いて 捕虜を勇気付けたことから

このチャペルができた

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当時の収容所で手に入る限られたペンキを使っての 見事な壁画


悲しみと 申し訳ない気持ちで 重い心になりながらの見学だった

中庭で

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シンガポールに住んでいる日本人、あるいは旅行される日本人は 必見です

これで、最後になるかも知れないシンガポール

チャンギ・チャペルに来ることができて 本当によかったと思う

今度、シンガポールに行く機会があれば ここに花束を贈りたいと思うが、

「もしかなわなければ、あなたが代わりに持って行ってね」と 夫に頼んである