チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

Nさんの死



ホスピスのチャプレンとなって丸2年
はじめっから担当していた患者のNさんが 10月半ばに亡くなられた

アメリカは 日本とは違っているようで、ガン以外の患者さんでも
余命6ヶ月と確定されれば、どんな病気でもホスピスのケアを受けることができる

Nさんは 80代初めの女性、乳がんが全身に転移しホスピスケアに入られた

彼女は余命6ヶ月と宣告されていたが、2年間も生きられたのだった
2年間のケアを通して お互いに信頼関係ができ、
彼女の人生観から多くを学ばせていただいた

Nさんは ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)として 
インディアン居留地で生まれられた
まだ3歳のころ、妹の出産時に母親を亡くされ、祖父母のもとで育たれた
質素でも心暖かな少女時代を小さな島のインディアン居留地で過ごされ、
ネイティブアメリカンとしての確固としたアイデンティティーと
カトリック教会に通いカトリック信仰を深められた

16歳になると、厳しい祖父母から逃れるように都会シアトルに姉を頼って移り住み、
そこで、ご主人と出会い結婚

当時は(現在もある程度は?)アメリカ先住民としての差別の厳しかったという
そして結婚されたご主人は アフリカ系アメリカ人(黒人)であるということで
いろんな苦労をされたようだ

Nさんの祖父母からは、アメリカ先住民同士の結婚ではないとの理由で 
結婚を認めてもらえず
ご主人の家族からも、なぜ同じ黒人を選ばなかったのかと拒否され・・・
生まれた子供は どちらの家族からも6年間は孫として認めてもらえなかったのだそうだ

大工として働く夫を支えて、彼女も一生懸命働き、ひとり娘も成長。
これから楽にと考えていた50代そこそこの時に、
夫が脳溢血で倒れ、亡くなられるまでの17年間 介護生活を余儀なくされた

決して楽だとは言えないNさんの人生
その話を1週間おきに訪問するチヤプレンである私に切々と語られた

彼女の話は、ネイティブアメリカンとしての誇りと、
ネイティブアメリカンの知恵に満ちていて
本当に興味深いものばかり
チャプレンとしてケアしているのやら、こちらの方がケアされているのやら・・・
Nさんを訪問するのは楽しかった

そのNさんが9月後半から、弱り始め、10月に入ったころには
もうこれまで彼女とは全然変わった姿に徐々に変わっていき、
「私のチャプレン、リアに会いたいわ。彼女を呼んで」と私を呼ばれた

行くと、ずっと手を握って 息も絶え絶えに
「私の人生は・・・・
 苦しいことが多かったけれど・・・・
 こうしてガンになったことで・・・・
 ホスピスティームのケアを受けることができて・・・・
 プロフェッショナルでありながら・・・・
 こんなに思いやりのある人々がいるということを・・・・
 体験できた・・・・
 なんと、祝福された人生なんだろう・・・・
 私のことを・・・・
 ずっとケアしてくれて・・・・
 本当に・・・・
 ありがとう・・・・」

一言一言を絞り出すように 感謝を述べてくださった

この日から10日後に Nさんは天国に旅立たれた

この最後の(お別れの)言葉を聞いた時から、
私の気持ちは本当につらくなり、何をしていても悲しみが込み上げる

かえって、亡くなられたときは、自分の心の準備もできていて
Nさん、さようなら、そしてありがとう。
また天国でお会いしましょう。とすがすがしい気持ちにさえなれた

Nさんのケアと死は ホスピスチャプレンとなって
最も心に深く残る出会いだった