チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

新しい仕事

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                R小学校

鹿をひく交通事故のあと、私は通訳・ガイドを辞めようと決心がついて、新しい仕事を探した。

といっても、少しは目星がついていたのだった。

通訳で日本文部省のお役人さんたちと見学に行ったポートランドの公立小学校。

ここは、今も現存しているが、当時はアメリカで数校しかない日本語プログラムを持っていた。

日本でも小学校からの英語教育がうたわれるようになって久しいが、

このR小学校は、アメリカ人の小学生に日本語で教育するというイマージョン(浸透)プログラム。

数ヶ月前、通訳の仕事で訪問したときに、大変興味をもち、「新しく人を雇う計画はあるか」探りを入れてみたのだった。

プログラム・コーディーネーターは、時々このブログにも登場するDさんだが、教育学で大学を出ていない私でも、アシスタントの職が2つあるという。

履歴書を出して面接を受けたところ、小学3年生のアシスタントとして雇われる事になった。

正教師のJさんは、私と同い年の女性で中国人と日本人のハーフで日本育ち。

インターナショナルスクールで教育を受けたので、英語も日本語も両刀使いという頭のよい、気さくな女性だ。

私は彼女とすぐに仲良くなって、信頼関係もでき、楽しく仕事をはじめることができた。

日本の短大では初等教育を専攻していたが、何のものにもならないと思っていたところ、

「すべてのことが あい働いて益となる」というが、無駄にはならなかった。


さて、9月から新学期がはじまった。

このプログラムでは、1学年50人の子供を2クラスに分けて、それぞれに半日は日本語、半日英語で教える。

午前中 Aクラスは日本語、Bクラスは英語で教え、午後に生徒を交換するシステム。

幼稚園高学年からこのプログラムで教育を受けてきた彼らは、個人差はあるものの、かなり日本語の読み書きや会話ができたので驚いた。

挨拶はもちろんのこと「先生トイレに行ってもいいですか?」「私は昨日○○に行きました。

とても楽しかったです」「本を読んでもいいですか?」「休憩したいです」などなど日常のフレーズは大丈夫だ。

日記を書いたり、俳句を書いたり、社会や理科、算数、なんでも日本語で教える。

子供たちの頭はすごいもので、スポンジのように日本語を吸収していくのだった。

もちろん、教師たちの努力たるや、並々ではない。

これと言った定番のないプログラムなので、努力と模索によって前進していく。

そのため、方々からの視察、見学も多かった。

 
これからの数年間、私は毎日小学校でアメリカ人の日本語教育に関わっている事になる・・・。

この小学校での仕事を通して アメリカ人の物の考え方、思考の背景にある教育の仕方が少なからず見えてきたし、

ジムのことを理解する上でも 非常に役にたった。