チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

マヤとの出会い

6日間の集中講義が終わって ほっとしている。
 
あとは、3~4週間以内に、16ページほどのレポートを2つ書き上げ、メールすればよい。
 
さっそく、リサーチを開始した。
 
書き終えるまでは、この緊張ペースを キープしなければ~!
 
 
さて、午前中のクラスで マヤという27歳の女性と友達になった。
 
彼女は175センチはあろうかと思われるほど、スラリと長身で、金髪のきれいな人。
 
でも、飾り気のない 気さくな アメリカン・ガールという感じの人だ。
 
 
弟さんが日本で英語を教えているということで、私に声をかけてきてくれた。
 
私の専攻や将来の方向についても 興味を持って聞いてくる。
 
私が 「これまでの教会での経験や、前夫の死を通して、チャプレン学を学んでいる」と言うのを聞くや、
 
「実は、私にも似た経験があるの」と 話をしてくれた。
 
 
彼女の婚約者は1年半前に マウント・フッドの登山事故で 亡くなったという。
 
 
マウント・フッドの登山事故と言えば、2件の事故が記憶に新しい。
 
1件は3年前、30代の3人の男性が 下山せず、遺体もなかなか発見されなかった。
 
そしてもう1件が1年半前の 20代の3人組 (男性2人と女性1人)。
 
彼らの遺体も発見されるまで、かなり時間がかかったと記憶している。
 
 
私自身、ハイキングをするようになって、特に山関連のニュースはいつも気になっていた。
 
あのときに 亡くなったAくんが マヤの婚約者だったとは・・・・・
 
 
二人は、同じ教会に通う友達だったが、
 
一緒に中高生の会を担当するようになり、彼の神に対する信仰の姿勢のすばらしさに、尊敬を感じたという。
 
そして、結婚を約束していた、そんなさ中に 事故が起こったのだ。
 
 
登山経験の豊富だったアウトドア派のAくんなので、みんな心配などしていなかったらしい。
 
行方不明になる前日も 彼はマヤの家に来て、家族と雑談を交わし、
 
軽く「バ~イ!」と別れただけで、そのまま2度と会えなくなってしまったという・・・・・。
 
 
予定の時刻になっても 下山しなかったため、翌朝から捜索活動が開始され、
 
数日間 探したが、悪天候のため、捜索は難航。
 
数日後には 死亡とみなされ、遺体の捜索は 後日に引き伸ばされた。
 
 
そんな中、1週間半後には 葬儀をとりおこなったという・・・・・・!
 
確認はできなくとも、死亡が確定したため、メモリアルを行うのが通常なのだとか・・・・・
 
 
私など、夫が最後の息をするのを、目の前で 自分のこの目で見ていたのにも関わらず、
 
死を認めることが困難だった。
 
それなのに、見てもいないし、遺体さえ発見されていない人の葬儀を 1週間半で行うとは、
 
なんと納得のいかない、つらい思いだったことだろうと思うと、本当に信じられない・・・・・
 
 
どこかで、まだ生きているのではないかという 希望が否定されるのは なんと残酷な・・・・。
 
 
 
いつも、マウント・フッドを見て、その美しさに感動しているが、
 
同じ山を見ても、単にその美しさに感動できない、複雑な心境でいる人たちが
 
たくさんいることを 彼女に出会って教えられた。
 
 
マヤに 聞いてみた。
 
「マウント・フッドを見るとき、どんな気持ち?」 
 
聞かなくてもわかりそうなところだが、あえて本人の口から聞いてみたいという 私のいけないところ・・・(反省)
 
すると、マヤは
 
「もちろん、複雑な心境よ。 思いがけず、景色の中に見えたりすると ドキッとなる。」
 
「でも、あの後 家族でマウント・フッドにスキーに行ったり、なるべく避けないようにしているの。
 
 否定的なことばかり思い出にしたくないから。」
 
「毎日、そのことばかり考えている訳じゃないし、私の人生はそれが中心じゃない。
 
 でも、安心して心を開いて話せる人が少ないので、Rieに話を聞いてもらってよかった。」と言った。
 
 
彼女の専攻と私の専攻のスケジュールでは、これから一緒にクラスをとることもないが、
 
これから、マウント・フッドを見るたびに、マヤのことを思い出すだろう・・・・。
 
 
婚約者Aくんの遺体は、数ヵ月後 捜索隊によって発見された。
 
遺体の状態から、高い岩場から落下したことによる死亡であると確認されたと言う・・・・・。
 
 
神様、不慮の事故で 愛する人を失った人々の悲しみを あなたの愛で慰めてください。
 
 
                                 私が授業を受けている校舎
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