チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

さようなら、Aさん

Aさんは 89歳のフィリピン人男性

若いころフィリピンでは戦後ということもあって、
大変苦労をされ、貧困な生活をされていた

「ちゃんとした靴さえなく、ほとんど裸足だったんだよ」
と当時のことを話してくださった


19歳で、同い年の奥さんと結婚され 5人の子供を抱えながら、
長距離トラックの運転手として働いておられたが、
極貧の生活を抜け出そうと、遠い親戚を頼って アメリカへ

まずは、イチゴ摘みや皿洗いなどの仕事を掛け持ち、
最低賃金の収入 (それこそ1日1ドルとか)

それでも フィリピンよりはずっとましだったらしく
月に2度、妻と5人の子供のために仕送りを続けられた

フィリピンでは、奥さんが
「アメリカのご主人から送金があって、裕福になったね」と
近所の人から羨まれていたという

永住権を得るとすぐに、職業訓練学校で溶接工になる訓練を受け
卒業後、アラスカ、シアトルと溶接の仕事で引っ越すと同時に
フィリピンから奥さんと5人の子供を呼び寄せられた
それまでに数年かかったという

「溶接工の仕事では13ドル50セントもらえたんだよ
 たくさんフィリピンに送金できて嬉しかった~」

その後、Aさんは自動車修理店を開かれ、
人を2,3人雇って、自分のビジネスで収入を得られた

「アメリカは、Land of Opportunity
 やる気のある人には、チャンスを与えてくれる素晴らしい国だね
 ゼロから出発した僕が、今はお金の心配をせずに
 十分な老後の生活ができるのだから!」

老後は、ヨーロッパなどいろいろなところを旅行され、
リタイアメントを楽しんでおられた

ところが、2年前に運転中、道に迷われて 交通事故を起こし
腰の骨など骨折されたことで、入院

その時に、末期のガンであることが判明したのだった


ホスピスケアを受けられるようになってからも
ほとんどガンからの痛みはなく、(事故の手術のほうは痛みがあられたけど)
時々、娘さんたちに連れられて 大好きな外食に出かけられるほどだった


熱心なカトリック信者だったAさんは
パンデミックが始まってから教会に行くこともできなくなり、
2週間に一度の私の訪問を楽しみに待っていてくださった

「リア~、よく来てくれたね、ありがとう!」
「教会に行けなくなったけど、教会がここに来てくれる感じだよ」

そして、フィリピンでの思い出や、アメリカでの苦労話をしてくださる

Aさんは 人との接触や会話が大好きで
閉じ込められていることほど 苦痛はない


1年以上も 小康状態が続いて、いつまでもこのまま生きられるのではないかと
誰もが願っていた

ところが、1か月前に、帯状疱疹にかかられ顔の右半分に症状がでて、
1週間ほど臥せって 回復されたと思ったとたん、急速に弱られた

先日訪問させていただくと、辛そうなお顔で、
「死ぬのかなあ、まだ死にたくないよ」
「死ぬのが怖いんだ」と 素直な気持ちを話され
来ていた20歳ぐらいの孫マイケルが、ハラハラと涙を流していた

結局、Aさんはそのまま状態が低下し続けて
昨夜亡くなられたと、カルテを通して知った

最期の最期まで
「パンデミックが終わって、
 州知事がソーシャルディスタンスの規定を停止したら、
 23人の孫たちと一緒に、3軒のコテージを借りて
 バケーションに行くのが楽しみだよ
 もう、娘がちゃんとコテージも調べてくれているんだ」と
楽しみにされていたのに
それもかなわぬまま、天国に行かれた

1年以上も、スピリチュアルケアにあたらせていただいたAさんの死を知り、
私も本当に悲しい気持ちでいっぱいだ

今頃は、苦しみから解放されて、天の御国で神様の臨在のもと
憩われているのだろうと知ることが 私の癒しとなっている