チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

結婚式の日取り

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      家族と川辺でバーベキュー
         (二人の世界にどっぷりのジムとリエ、せっせと肉を焼く母、黙々と食べる父
          そして母のわきで肉を狙う愛犬ヨークシャーのジュリちゃん)


ジムと結婚をすることになって、私たちは本当に幸せな気持ちだった。

母は、賛成。
父は、あまり嬉しくない様子だったが、それは、特に相手がジムだからというのではないと思う。
父親にとって、娘が結婚すると言うこと自体が あまり好ましくないことなのだろう・・・。

でも、私の父は、私がクリスチャンになるときも、神学校に行くと言ったときも反対しなかった。
私は小さいころから、頭ごなしに父から反対された記憶はない。

私たちは「いつ結婚をするか」を考えはじめ、善は急げで、「9月にしよう」と話し合った。
その時は6月のはじめだったので、あと3ヶ月ということになる。

若気の至りというか、周りがどうであろうが、「2人のためー世界はあるのー♪」状態。

それには、みんなが驚いて、あまりにも早すぎるのでは? と「待った」がかかった。
私の教会のスケジュールを調べてもらうと、秋は、残念なことに いろいろな行事が目白押し。
9月というのは、教会にとっても あまりよいときではないと言うことになり、断念することになった。

それでは、いつにしようか?
私たちは、「どうせなら、半年待って、新しい出発の記念にふさわしい元旦(1月1日)にしよう!」と、
意気投合した。

ジムの希望は、私たちと家族だけで、山頂で日の出のときに静かに結婚したいという・・・。

ところが、これには父が黙っていなかった!
「親戚はどうするつもりか? 親戚の結婚式にも呼ばれてきたのに、呼ばないわけにはいかない!」

私「私たちの式なんだから、やりたいようにさせてよ!」

父「だいたい、結婚式に親戚を呼ばないなんて、話にならない!」

私「親戚、親戚って、私は親戚のために結婚するんじゃない!!!」

いくら言い合っても、父と私は平行線だった。
「バン!」私はテーブルをたたいて 2階の部屋へ駆け込み 「ワー」と泣いた。

ジムは気が気ではない。
私と父に左右に挟まれて、まるでピンポンの試合を見ているように 二人の口論を心配そうに見守っていたが、
私が2階へ走っていくと、ジムも後を追ってきて、慰めてくれた。

こんなことがしばらく続いたが、その内に、私たちは結婚できればそれでいいか、と言う気持ちになり、
父の希望通り、親戚や友人をたくさんお招きすることになり、一件落着。

すべては、私の家族サイドで話が進んでいたため、ジムの両親や兄弟姉妹は、どうなるの?
ジムに聞くと、「両親は、僕たちが幸せならそれでOK。
アメリカにきたらリエに会えるから、結婚式には来ないよ。」と言う。

アメリカでは、子供の結婚に親が関与しないというが、クローチ家もしかり。
ひとまずは、受け入れられ、アメリカに引っ越すのを楽しみしてくれている様子だ。

その直後から、母ドロレスから アメリカに来る準備のためにと、
私に手紙や 地方新聞などが送られてくるようになった。

かくして、式の日取りは 1985年1月1日に決まり、それに向けて、いろいろな準備がはじまった。