チャプレンのブログ・ALSなんか大嫌い

アメリカでチャプレンとして働いています

それぞれの送りかた

ティームの看護士ミッシーからメールがあり、
「Jさんがチャプレンと話がしたいと言われているので連絡して」
とのことだった

Jさんは、ホスピスケア―を受け始められた際、
スピリチュアルケアは必要ありませんと
チャプレンの訪問を断られていたため
一度も訪問したことがなかった

ちなみに
アメリカのホスピスは国の医療制度によって
医師、看護士、チャプレン、ソーシャルワーカー、介護士
というチーム設定で24時間体制を取らねばならないが、
患者や家族の要望で必要のないケアとなれば、訪問を行わない
(ホスピスケアに留まるために必須なのは、看護士のケアのみで
 その他のサービスは断ることが個人の自由となっている
 そのためチャプレンのケアを断られることも多々ある)

朝の忙しい時間で、カルテを読むひまがなかったために
一日の仕事を終えて、夕方にカルテを読んで
患者さんのことを把握したうえで
明日の朝 電話をかけようと思っていた

午後、予定していた訪問が全部終わり、
さて、帰宅しようとしていたところ、
今度は同じチームのソーシャルワーカーからもメールが

「Jさんの息子さんがチャプレンと連絡をとりたい」と言っていおられる
との内容だった

一日に2度も連絡を受けるとなれば、
カルテを読むうんぬんは抜きにして、さっそく電話をしなければ

すぐに息子さんに電話をかけた
 「父の容体が急変したので、できれば訪問していただきたい」
とのことだったので、帰宅とは全く逆方向に向かって30分車を走らせた


到着すると、玄関口のところで、チーム看護士のミッシーが
訪問を終えて今から次の患者さん宅に向かうところだった

ミッシーと2,3言葉を交わしていると
玄関のすぐ隣のリビングが何やら騒がしい。。。

リビングに通されると、
Jさんが大きなリクライニングに横になり、意識はうつろ

それでも、「来てくださって・・・ありがとう・・・」と
挨拶をされた
それきり、目を開けたり閉じたりされ
起きていたいという意思と 薬の作用で眠りが襲うはざまの状態

Jさんの最期が近いとあり、
奥さん、40代の息子と娘、それぞれの伴侶と10代後半の子供たち、
それにJさんの弟夫婦が集まっておられ、
それぞれに最後の別れの時をもっておられた

このご家族がユニークに感じられたのは
みなさん、どうしてよいかわからないという感じで
(誰だって、愛する人が亡くなるときは どうしてよいか
 わからないのが当然のことだけれど)
なにかと騒がしい

私の経験からすると、こういう場面では
ほとんどのご家族が静かに患者さんの手を取って
という感じがほとんどなのだ

けれど、このご家族は違っていて
「お父さん、もう逝ってもいいんだよ。」
「もう、頑張る必要ないんだから」
「おじいちゃんが、お迎えに来ているんでしょう?」
「神様にお任せして、彼に(Jさん)にしがみつかない方がいいよ」
「私も一緒に合わせて息をするからね。」
  そして、横でラマーズ呼吸法のようにスーハ―と息をされる人
「まだ息をしているの?」
などと口々にいろんなことを語りかけられている

そうかと思えば、
「キッチンにサンドイッチたくさんあるから、みんな食べないと!」
とすすめ続ける人も

騒々しくて、死んでいられないのでは と思うほどだ

涙を流して、40代とみられる娘さんが私に尋ねられた
「お父さんに、死んだら、私の夢に出てきてねって伝えたいんだけど、
 こんな危篤状態でも、聞こえるのかしら。
 聞こえたとしても、私の夢に出てくるなんてお父さんの意思でできるの?」

私にはその答えはわからないが、
慈愛の深い神様なら、彼女の願いもかなえてくださるのだろうと思う
「お父さんにあなたの気持ちを語りかけて、
 そして神様にも祈りましょう」
(ちなみに このご家族はカトリック信者)

彼女は少し落ち着いた様子になられた

Jさんと結婚されて60年になるという奥さんは
気丈にふるまっておられ、あれこれと家族に指示をしながら、
夫につかず離れず、見守っておられた

「最期は近づいているとは言え
 その時がいつ来るのかは、誰にもわかりません
 特に緊急に何かをしなければならないということもないのですから、
 奥の部屋で、少し休まれるとか、
 少し外に出て、新鮮な空気を吸ってくるとか
 自分のケアを大事にされてることも忘れないでください」

そう言って、言葉をおかけすると
急に緊張が解けたのか、張り詰めていた気持ちが緩まれて
隣に立っていた息子にしがみついて、おいおいと泣き始められた

そしてすぐに気を取り戻して
「ちょっと外の空気を吸いに行ってみるわ
 このままだと息が詰まりそう・・・」

そういってジャケットを着たとたんに
「母さん! 父さんの呼吸が止まりそうだ! 来て!」と
声がかかった

そして、また皆がJさんを取り囲んで見守る



看取りには、正しい方法や 間違った方法はないと思う

それぞれの家族には文化があり、習慣があり、
ユニークな人間関係があるのだから

最期の時も、ありのままに見送るのが当然だ


チャプレンとして多くの最期に立ち会わせていただいてきたが
この日のことは、ユニークな看取りをされた家族として
心に残るだろうと思う

Jさんは 家族に見守られながら、翌日の午後に息を引き取られた